俺は朝練を終わらせ、部長に鍵を渡して道場をあとにした。 その際この学園の唯一の女子生徒で同じ弓道部の夜久と、一つ後輩の木ノ瀬とすれ違った。 夜久は笑って「お疲れ様」と声をかけてきて、木ノ瀬は食えない笑みを浮かべて「お疲れ様です、宮地先輩」と言った。 昨日の一件があったからか、俺はそんな二人に「ああ、お疲れ」としか返せなかった。 正直昨日からあらぬ想像ばかりしていた。 そういう趣味があるわけではなく、心配だったのだ、同じ部活の良きライバルたちが。 自分にとって、あるようでない出来事だったそれが、ありえる出来事になってしまった。 それがとてつもなく不安だった。 そして、何より、彼…昨日出会ったあの男子生徒が気がかりだった。 俺はぐっと奥歯を噛み締めて、急いで教室に向かった。









ネクタイの色から二年だと判断したものの、他には何の手がかりもない。 いや、それだけで十分だと思っていたんだ、はじめは。 しかしすべての二年の教室を覗いてみてもあの男子生徒は見つからなかった。 中性的で整った、白い肌の男子生徒。 そんな生徒はあまりいないはずだ。 一目見ればわかる顔のはず、なのに、一向に見つからない。 生徒会に所属している青空に訊いてみたが「名前がわからないとどうにもなりませんね…」と苦笑いされた上に謝られてしまった。 その際にその男子生徒に何かあったのか、と訊かれたが適当にはぐらかした。 天文科の教室を覗いたときに七海と土萌がいたから念のために訊いてみたが、二人とも「知らない」と首を横に振った。 何度も何度も、全ての教室を隈なく確認した。 なのにいない。 確かにあいつは俺と同じ制服を着て、赤いネクタイをしていたはずだ。


「お、いたいた。龍之介!」
「…不知火会長」
「お前、人探ししてるんだってな。颯斗から聞いたぞ」


「名前も知らないやつを探すなんて、なかなかむずかしいことをするな」とこの学園の生徒会長、不知火会長は白い歯を見せながら笑った。 この人は横暴だが、悪い人ではないと思う。 あの七海が尊敬しているくらいだし、むしろいい人なのだと俺は認識している。 不知火先輩は開いていた携帯電話を閉じてポケットに仕舞うと「唐突だが保健室には行ったか?」と真面目な顔をした。


「保健室、ですか」
「一人、保健室登校してるやつがいる。いじめられたりしてるわけじゃないらしいが」
「そいつに会ったことありますか?」
「ない」
「…ないんですか」
「確認する価値はあるだろ?0%じゃねえんだからな」


そう言ってまた白い歯を見せる。 「じゃ、そんだけ」と背中を向けて去っていく。 その背中に礼を告げると「がんばれよ」と笑った顔だけこちらを向いた。 俺は不知火会長に背を向け、保健室に足を向けた。 授業開始まであと5分。 十分だ。 とりあえずあの男子生徒を見つけて名前を聞けばいい。 ゆっくり話すのはそのあとでも構わない。 まずはあの男子生徒が、無事であることを、確認したかった。









「失礼します」とノックした扉の向こうからは、何の返事もなかった。 星月先生はどうせいないのだろう。 あの先生がここにいないことなど今更驚くことでもない。 俺はゆっくりと保健室の扉を開けた。 鍵もかけずにふらふらと出ていくことも珍しいことでもない。 やはり星月先生の姿はなく、積み上げられた資料と散らばったペンが一番に目に入った。 保健室の中を見渡してみたが、特に人がいる様子もない。 ベッドはすべて使用中のようだ。 カーテンがすべて引かれている。 中を一つ一つ確認するのはさすがに気が引けた。 俺は踵を返して保健室から出て行こうとした。


「ねえ、もしかして僕のこと探してたりする?」


昨日と同じ温度の声だった。 足をとめ、カーテンの引かれたベッドに視線を戻す。 すべてカーテンの引かれたベッドのどこに、あの男子生徒がいるのかわからなかった。


「今日、久しぶりに教室に行こうと思ったら君がいるんだからびっくりしたよ」
「…なんでそれで引き返す必要がある」
「できるだけ知り合いは作りたくない質だから、と言っておくよ」


男子生徒の声は冷めきっている。 けれどきっと顔は笑っているのだろう。 何もかもに疲れたような、そんな声だった。 昨日のことは口にしない方がいいだろう、と俺が頭の中で思った瞬間「ああ、僕の隣には星月先生が爆睡してらっしゃるし、一つは誰も寝てないから好きに喋ればいいよ」と声が聞こえた。 少しくぐもった声からして、布団に顔を埋めたのだろう。


「星月先生には話したのか」
「…あの人はずいぶん前から知ってるよ。怪我をすればここに来てるし、黙ってるつもりだったんだけどね」
「笑い事ではないだろう」
「そうかもね」


チャイムが鳴った。 その音に一瞬肩がびくりとしたが、きっと今俺がここから立ち去れば、この男子生徒は寮に帰る。 そして次の日から保健室にも来なくなる。 そんな気がした。 ”怪我”という単語が俺の頭に鈍く響いた。 ひどく、腹が立っていた。


「ホームルームはじまっちゃったよ」
「ああ、早く教室に戻りたい。その前にお前に訊きたいことがある」
「何かな」
「お前の名前は?」
「さあ、なんでしょうね」
「…ふざけているのか」
「うん。ふざけてる」


あはは、と乾いた笑い声が聞こえた。 ひどく乾いている。 名前を教えたがらないのは、俺とこれ以上関わりたくないと遠回しに言っているのだとなんとなくわかった。 きっと人をそう簡単に信じないやつなのだ。 それはこいつにとって、一番いい防御法なのだろう。 けれど教室にあまり行っていないとなると、信じていた友人に裏切られたことでもあるのだろうか。 それを思うと、余計に腹が立った。



「は」
だよ。下の名前だけ教えといてあげる」
「…だな」


俺はその名前をしっかりとメモをするように呟いて、保健室をあとにした。 守ってやる、なんて大層なことは言わない。 けれど、せめて、頼れる存在というやつにはなってやりたいと思う。 不安な学園生活など送らずに済むようになってほしいと思う。 そう、強く思う。


今日から宣誓


「珍しいな」
「何がですか」
があそこまで素直に話すことがだ」
「嫌だなあ、まるで僕が嘘つきみたいに言わないでくださいよ」
「実際そうだろう?何が”あの人はずいぶん前から知ってる”だ。俺は何も聞いてないぞ」
「そうでしたっけ?」
「…話したくないなら聞かないが、これだけは言っておく」
「なんです?」
「宮地はいいやつだぞ」


星月先生の声が、ひどく優しく強いものに思えた。 僕は「そうですか」と言って埋めていた顔を一度あげてから、布団を頭のてっぺんまで被った。









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