第四章
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「不当な出生、という言葉を知っているかしら?」
カオルは古ぼけた換気扇が回る、煙草臭い休憩所でお茶とにらめっこをしながら、そう言った。
「何それ」
「親が子を生まない権利を主張することよ。自分の望んだ子が生まれず、もしこんな子が生まれるとわかっていたのなら、自分は生まなかった。何故、自分は、こんな子を生み、育てなければならなくなったのか。医師が的確な指示を出し、正確な診断を行ってくれていたのなら、あるいは……。そういう思想に基づいた考えよ」
私はお茶をすすった。
「アナタは、そんな風に言われる子供は、一体、何を思うと考えるかしら?」
「子供ってイブキのこと?」
「さァ」
再びお茶をすすり、しばらく黙考した。
カオルもそれに付き合い、お茶を眺め続けていた。
「私が子供だったなら、自らの苦痛に満ちた生そのものを損害であるとし、出産を回避できるよう親に的確な情報を与えなかった医師に過失責任を問うね」
口を斜めに引き延ばし、カオルは白い歯を覗かせた。
「アタシなら、誰も恨まず」
彼女の眼を私は見つめ返す。どこまでも、引き込まれてしまいそうな、魅惑な光を灯していた。
「きっと、親に殺されたいわ」
枯れ落ちた葉っぱが道に敷き詰められる秋。イブキは完成した。
私達はその完成式典に呼ばれ、こうして京都重工の休憩所で時間を潰している。
式典が開始されるまで、あとわずかもない。
「結局イブキは、誰が望んだ形になんてならなかったね」
カオルが望んだ人工知能がついたわけでもなく、ルルの言うような、人を守る物にもならず、誰も願っていない形に落ち着いた。
カオルは時計を一瞥する。
「そろそろ、行こうかしら」
椅子から腰を上げる。
私は気の進まないままに、部屋を出た。
京都重工の格納庫を会場に見立て、そんなところに報道陣や関係者が雁首そろえて並んでいる。
イブキの足元には赤い絨毯がひかれ、彼の眼前にはテープカットが用意されていた。
かしこまったスーツに身を包み、私達は所定の椅子へ座った。まるで見せものだ。
このあと記者会見も用意されている。私がテストパイロットでは珍しい女だからという理由だけで、それに出演するよう打診された。何考えてるんだか。
「カオルは良いね。実績で会見できて」
「名前だけで呼ばれたようなものよ。アタシが構想していたイブキのオペレーティングシステムが採用されていないのだから。さて、報道陣に何と答えたものかしらね」
「技術者倫理を説けば?」
彼女は鼻で笑った。
「何が倫理よ」
会場内にマイクが響いた。
『それではお待たせいたしました。イブキのロールアウトを祝し、テープカットでございます。どうぞ』
冴えない爺さん達が、ハサミを入れる。何が嬉しいのか、妙に微笑ましい顔をして、切れたテープを握りしめている。
フラッシュも一斉にたかれた。
ファンファーレも流れ始めた。
何がめでたいのさ。こんなイブキが完成して。
『いよいよ、イブキが、果てしない大地へと、力強い第一歩を踏み出します。それでは、次期二足歩行哨戒機イブキのロールアウトです』
カオルが隣でくすくす笑った。
ファンファーレが再び鳴り出し、イブキが格納庫の外へと、歩行を始める。
来賓から拍手で送られる。
外は小雨。
イブキは体を濡らし、艶めかしくもあった。
再びスピーチが始まると、バシャバシャとカメラを鳴らすのにようやく飽きたのか、イブキに向けられたカメラはおさめられた。
不本意ながら、イブキのロールアウトは無事成功した。
ゼネラルに戻ると、イブキに向けられていたカメラが、今度はゼネラルの重役や、カオル、おまけのような私に向けられることになった。
つまらない記者会見だ。
イブキはどんな機体なのか。イブキはどのような技術がつかわれているのか。イブキの運用目的はなにか。
そういった質問はほとんどすべてカオルが答えてくれた。
猫を被るとはこのことだ。カオルは心にもないような台詞と丁寧な言葉遣い、そしてなにより、今まで見たこともないような朗らかな笑みを浮かべてカメラに納まっている。
「綾咲さんに質問です」
男の記者が挙手をして、私の名前を呼んだ。
「戦場でトリガを引いたことは?」
マイクに向かって答える。
「ありません」
私はカオルのような真似は出来なかった。明らかに怒気が入り混じっている。
記者はへらへらと笑い、
「戦場を知らないうら若き女性がテストパイロットとして勤まるのですか?」
さすがにため息を吐かざるを得ない。
「機体の旋回時の各種パラメータを冷静に記録するには、専門の訓練を受けた者のみが獲得出来る、かなりの特殊能力が要求されます。事実、類を見ない操縦技術の持ち主がテストパイロットにはまったく不向きと判断される事もままあるんです」
「なるほど」
「それから、先程の発言は女性蔑視とも受け取れるのですが」
そう答えてやると、
「軽率な発言でした」
と言って、頭を下げた。
彼が座ると、即座にまた別の記者が手を挙げ、質問をする。
「イブキを造る過程で、投じられた費用を御存じですか?」
「知りません。では、教えてください。この会見に投じられた費用はいくらですか?」
カオルがくすりと笑ってくれた。
「……南日本の中には、明日食べるものがない子供達もいますが」
「それを聞いて安心しました。今日は食べるものがあるんですから」
「貴女ねぇ! この計画に投じられた金額で、一体、何人の餓死者を救えると……」
司会者の男が、イブキに関する質問に制限することを注意し、他に質問のある人間を探した。
女性記者が手を挙げる。
「綾咲さんに質問です。何故、テストパイロットをしているのでしょうか?」
「何故?」
「女性のテストパイロットは珍しいので、その理由を是非」
「いえ……」
理由。そんなもの、
「他に、雇ってくれる処がないだけです」
わかるわけ、ないじゃないか。
私がイブキを造った理由どころか、テストパイロットをしている理由が微塵もない。
誰だっていいんだ。
ただ、たまたま、私がいて、戦争に憧れながらにテストパイロットになっただけで、深い理由なんて、何にもない。
テストパイロットになった時は、こればっかりしかないと思っていたのに、どうして、どうして、今になって、他の可能性なんてものが頭をよぎるのか。
兵器なんて造らない人生だってあったはずだ。普通の会社に勤めて、普通の生活送って、普通の人生過ごして、普通に死ぬ。
それで満足だろうに。
どうして、私は、こんなところで、記者会見なんて受けているんだ。
「あの記者、恐らくは南の回し者よね」
カオルは更衣室の扉を閉めると、首まで絞められていたシャツのボタンを粗雑に外し、胸元を肌蹴させた。
「あの記者って?」
「アナタに、イブキがいくらかかったか聞いた人間」
あぁ、と私は呟く。
「どうしてわかったの?」
彼女は眼を細め、
「ちょっとばかり、勉強の出来なさそうな顔をしていたじゃない」
「偏見」
「あらあら。あちらの方が、よっぽどそうじゃなくって? それに、事実、あまり頭の良い質問でなかったのだし」
私は上着だけ脱いで、入社以来着たことがなかったそれを膝の上で畳んだ。
「私、ちゃんと答えられなかったな」
「アナタにしては上出来なジョークだったわよ」
「そっちじゃないよ」
溜息をひとつ。
「なんでテストパイロットをしているか」
カオルは唇を両端に引き伸ばし、ふぅ〜ん、と喉で声を出した。
「アタシはてっきり、それもジョークかと思ったけれど」
「笑いながらきつい冗談を言うカオルとは違うの。途中まで全然、気がつかなかったよ」
平気な顔して、すごい事をさらりと言ってのけるカオルの肝に感服するよ。仮にも重役が横にいたのにさ。
「なんにせよ、イブキのお仕事もようやくの終焉を迎えたわね。お疲れ様」
そう。こんなにもあっさりと、彼は、私の手から離れていったんだ。
「カオルはこれからどうするの?」
「飼いならされた技術者には、選ぶべき道なんてないわよ」
「そっか」
カオルは私の顔を、深刻な顔をして覗いてきた。
「それより、アナタよ」
「うん」
「この先、どうするつもりなの」
「うん」
そして、私は笑った。
「何、笑っているのよ」
「私の事、心配?」
彼女は眉をぴくりと動かし、
「馬鹿馬鹿しい」
と前のめりにしていた姿勢を正し、腕組をした。
私は彼女に向けて、
「……今がいい機会だと思うんだ。ルルだって、京都に帰るって言ってるし。自分の思った事をやる方が正しいと思えるんだ」
「……またアノ子なのね」
カオルは流し眼を向けてきた。
「そう。あの子だよ」
「あんな不器用な子を参考になんてしてはダメよ。アナタはアナタなのだから」
「随分、可笑しなことを言うね。カオル。誰も器用になんて生きられるはずもないんだ。だったら、散散にもがいてみせるさ」
「この仕事を続けていくことで、救える命もあるのだから」
「この仕事は誇り高いよ。けど、命を救うだなんて、私には重すぎる」
私は立ち上がって、扉に向かう。
「アナタ、逃げるの?」
カオルの声は、抑揚のない、どこまでも冷静な声だった。
私は振り返り、彼女を見た。
「カオルは、負けないでね」
彼女は顔を瞬間、赤らめた。
「アナタは、負けて出ていくわけじゃないのでしょ!」
私はそれに答えず、カオルに背を向け、更衣室を後にした。
「君の言いたいことはわかった」
低い声でぼそぼそとしゃべるゼネラルの頭。
「煙草、いいかね?」
「どうぞ。ここはあなたの部屋です」
夕焼けに赤く染まる社長室で、彼は煙草に火をつけた。
「質問をしても?」
「構わんよ」
彼はデスクから立ち上がり、向かいのソファへ腰をかけた。私にも座るよう促す。
「何故、私なんですか」
私は座りながら聞いた。
「ここに呼ばれた理由かね?」
「違います」
彼は煙を吐き出す。嫌な匂いだ。
「君はイブキのテストパイロットであった人物であり、女性だ。男がやるより見栄えは良い。意外性もあるしな」
「私は、辞表を提出したはずです」
「転職するのなら、この会社を辞めなければならない。何か問題が?」
「あります」
返答が少し早すぎただろうか。
「君の今後の身の振り方について、面倒をみることが、君の自尊心を傷つけたのだとしたら申し訳なく思う。しかし、テストパイロットの就職口は限られているだろう」
「お心遣いはありがたく思います。ですが、グループ傘下の軍需工業に私は就職する気はありません」
彼は煙草の煙を勢いよく吐き出した。
「まだ傘下になったわけではない」
「これからなさるおつもりだと聞いたばかりですが」
「そうだ」
彼は細身に煙草の煙を充満させ、また吐き出す。
「イブキは我社の新たな一歩を記すモニュメントとして最高の出来だ。そうは思わんかね」
「ここに勤めていたことを誇りに思いますし、ゼネラルは素晴らしい会社です。しかし、会社には個人を拘束する力はないと認識していますが」
「強制はしない。ただ、君の入社時の志望動機にかなった転職先だと思ったから勧めたまでだよ」
「人は変わります」
「そうだな」
短くなった煙草を、彼は灰皿に押し付け、
「人は変わる。また君に同じ事を聞いたら、別の答えが返ってくるやもしれん」
「保証しかねます」
彼は腰をあげ、手を差し伸べてきた。
「君には期待しているよ」
彼の手は、ごつごつと骨っぽく、大きかった。
だから私は、その手を握らず、お辞儀をしてその場を去った。
それから冬が来て、イブキの正式な配備が決まり、完全に私達の手から離れた。
私達は解散した。
「ルルは、京都に戻って何をするの?」
最後の見送り。駅の冷たい椅子に座りながら、電車を待つ。
「私は、どうしましょうね。無計画に会社辞めちゃいました」
人の足音も疎らで、駅ばかりを灯す電灯が線路の先をさらに暗くしていた。
「どうして、会社を辞めたの?」
時折吹きこむ風は冷たく、マフラが手放せない程だ。
「もう、疲れたんです」
黙って私は彼女を見つめた。
「カオルさんやスミレさんのように、強い人間じゃないんです。それだけのことです」
私は強くなんてない。ただ、ずるいだけだ。
「スミレさんと違って、私は眼をそむける事で、自分だけは関係ない人間で有り続けようとしているだけなんです。手を触れてないから、見ていないから、聞いていないから関係ないと、そう言い張る理由が欲しいだけなんです」
ルルはずぶ濡れの雀のように体を縮こませ、
「私なんかより、カオルさんの方が、よっぽど人のためを考えています。笑っちゃいますよ。何が、人道的兵器なんでしょうね。こんなの、兵器とは何か、ちゃんと考えたことのない人間の言葉です」
「兵器を造らない人間が浅はかだなんて間違ってる」
「でも、兵器を正面から造ってる人間の方が、何も知らず、リアリティの欠片もない思考を巡らす私のような人間より、よっぽど健全です」
健全なはずがないだろ。
「カオルさんが正しかったんです」
「それは違うよ!」
私は彼女の胸倉をつかんだ。
「カオルが正しいだって? それは誰が決めた。ルルか? ルルは、神様にでもなったつもりなの!」
「……スミレさん」
「誰が正しいなんて、誰もわかんないんだ。誰も間違ってるんだ。誰も正しいんだ。それなのに、どうして、そうやって、自分は違って、他人が正しいなんて言うんだよ! ルルだって正しいはずなんだ! 誰にも、間違ってるなんて言わせないさ!」
これは、自分に向けての言い訳。
私はルルに、そう言ってもらいたかった。自分を肯定してもらいたかったんだ。間違ってないと言ってもらいたかったんだ。
「すみません……」
泣きそうな顔をして、目を固く瞑っている。
「なんで、謝るのさ……」
「すみません……」
私はつかんだ胸倉から手を放した。
「……謝らなければならないのは、私の方だよ」
京都へ向かう列車が、駅へ進入してきた。
ルルを乗せて、この線路の向こう側へ行く列車だ。
「そんな顔、しないでください」
ルルは言った。
「……ねぇ、ルル」
「はい」
「イブは、私のこと、ずるい大人だって言ったよ。許せないとも」
彼女の顔を直視できなかった。
「ルル。本当は、私に、何か言いたいことがあるんじゃないの?」
列車はしばらく、扉を開けなかった。ずっと静かに停車していて、まるで、ルルの言葉を待つように。
「ひとつだけです」
彼女は腰をあげ、
「ひとつだけ」
列車の扉は開いた。
ルルはいつも見せてくれていた、あの笑顔で、一言、さよなら、と言った。
警笛が鳴り終わると、列車の戸は閉まった。
ルルの姿はもうここには無い。
最後の見送り。私はベンチに座って、下を向いていた。
ゆっくりと、列車は動き出し、私から離れていく。
線路を擦る音はいつの間にか空へ吸い込まれ、駅を照らす電灯が無言で私に覆いかぶさり、ますます私は下を向いた。
ルルは最後まで、私のことを責めなかった。
私がゼネラル傘下の軍需工業に就職したことを知っていたにもかかわらず、彼女は、何も言わなかったんだ。
いっそイブのように、私を軽蔑してくれればいいものの。
彼女の別れ際の言葉は甘美な響きと共に、良心をえぐられる痛みから逃れられないのだと、私は理解した。
駅前の駐車場で車に乗る。
私は助手席だ。
「お別れの挨拶は?」
カオルは言った。
「してきた」
彼女は煙草をくわえ、マッチを擦る。小さい火が揺らいだ。
「……カオルは良かったの?」
窓を開け、煙を外へ吐き出していて、返事は聞こえなかった。
私がそのまま黙っていると、
「見送りする仲でもないわ」
「ここまで来た」
「それは、アナタが駅へ行くと言ったから」
煙草を吸い終わると、キーを回し、車を出した。
車を進めれば進めるだけ、延々と道路は吐き出され、私達はその上を走り続けた。
たまに道標が現れ、迷子にならないように誘導し、危険があれば注意を促してくれた。
ただ沿うだけで、目的地へと着ける。
「兵器とは一体、何かしらね」
カオルは誰に聞くでもない口調だった。
「ロケット、衛星、飛行機、パソコン、インタネット。デジタルカメラに電子レンジ。その他なんでも、軍事技術の流用。民生技術との違いは、今が戦時かそうでないかということ。平和の時、それを創造に使い、戦争の時、それを破壊に使う」
窓に映る自分と目が合い、私は顔を逸らした。
「アタシ達が造っているものはね、綾咲スミレさん。兵器と呼ばれる未来の技術なのよ」
「……わかってるよ」
「わかってないわね」
カオルは小さな声で、言った。
「自分なりの理由を見つけなさい」
瞬間、カオルの表情が見えなくなった。
トンネルの中は橙に彩られていて、世界を変色させた。
第五章