第三章






京都重工に次々とトラックが荷物を搬送してくる。

 これで何台目だっけ。

「結局、こうなったね」

 わかっていたことだけれど、何の彼のと言って、こうならないことを期待していたんだ。

 ルルと肩をならべながら、地面に濃い影を伸ばす。

 セミは、相変わらず迷惑な歌を歌い続けていて、

「この対人兵器を装備すれば、イブキも立派な兵器になるってわけか」

「……残念です」

 夏も、終わろうとしていた。

 対人用指向性散弾、レールガン、そして暴動鎮圧用兵器ADS。

 裸だったイブキが、それを隠すように、体の周りを武器で覆う。

 私には、その姿が、とても悲しく、そして虚しく感じられた。

 武器の取り付け作業がひと段落ついたルルを隣に、二人して、黙ってイブキを眺めた。

 大きな車道を挟み、イブキが覗く組立棟を木陰から呆然と見る。

「いっそこのまま、世界最強の兵器にでもしちゃおっか?」

 私が冗談めかしに言うと、

「それも、いいですね」

 なんて、ルルが言った。

「……どうしたの? 珍しいね」

 ルルは悩ましげに頬杖をついていた。

「スミレさんが、用事もないのに、それも休日に、京都重工にいるほうが珍しいですよ」

「京都重工は大変だね。休日返上してまで組立なんて」

「厭味を言いに来たんですか」

「半分当たり」

 そして、再びイブキを見つめる。

 目の前を時折、車両が行き来して、背中を預けている木からはセミの声が延々、響いていた。

「……スミレさん。今日、飲みましょう」

「そうだね」

 ルルは、すくっ、と立ち上がった。昼休みも終了だろうか。

「スミレさん」

「なに?」

「スミレさんの私服って、そんなのなんですね」

 つなぎ姿のルル。

「ルルとおんなじで、普段は仕事上ね。パイロットがスカートはいたら可笑しい?」

「いえ、とっても可愛いです」

 ルルの私服はこないだ晩御飯を御馳走になった時に見た。ルルらしいというか、潔白な服は女の子らしかった。エプロンとかも似合ってたなぁ。

 ルルが組立棟の中に戻る頃には、他の従業員もちらほらと戻ってきて、イブキの武装化が再開された。

 私は一度大きく伸びをして、立ち上がり、天気が良かったので、京都重工の敷地内をふらふらと散歩した。

 X線検査棟、立ち入り禁止区画、談笑しているスタッフ。

 広大な敷地を迷うように散歩したが、どの路でも足の向く方へ行けば、必ずそこに見るべく、聞くべく、感ずべきものが絶えなかった。

「ありゃ? パイロットさん?」

 上から声がしたので振り返ると、第二組立棟の三階の窓から、瑞穂イブが顔を覗かせていた。

「お疲れ様で〜す」

 彼女の声が空に吸い込まれる。

「イブは休憩中?」

 少し私は声を張り上げた。

「サボリで〜す」

 大声で言わない方がよかないか?

「コーヒーでしたら、三階に用意できますよ〜」

 私は頷き、棟の中へと入った。

 高分子化合物を成形している第二組立棟に入るのは初めてで、その印象は、一般的な会社という雰囲気だった。同じ敷地で重機音を鳴らしながら、イブキを組み立てているというのに、ここだけはまるで別の会社のようだ。

 応接室という名のサボリ場で彼女はコーヒーを私の前に置いた。

「パイロットさん、今日は可愛らしい服着てますね?」

「そんな事ないよ。全然、普通だよ」

 あはは。

「パイロットさんは、今日姉さんに会いましたか?」

 私はコーヒーをすすりながら肯定した。

「姉さんの機嫌、どうでした?」

 ルルの機嫌?

「どうだったかな」

 イブはふぅっとため息を吐いた。

「ルルって今日、機嫌悪かった?」

 私は言いながら、出されたお菓子に手を伸ばす。チョコか……。煎餅か……。チョコだ。

「平たく言えば、悪かったです」

「どうして?」

 彼女はむくれた。

「喧嘩でもした?」

「……少し」

えへへっ、と笑うイブ。

 私はコーヒーを一口飲んでから言った。

「何があったの?」

「や……そのぉ……」

 彼女はちらりと私を盗み見てから、

「パイロットさんは、イブキの話、聞いてますか?」

「武装化?」

「はい」

「朝見てきた」

 すると彼女は再び、ふぅ、とため息をひとつ吐いた。あどけなさを残しているはずのイブが昼下がりの休憩室で悩ましげに頬杖をつく姿は、まるで映画のワンシーンを切り抜いたかのように色っぽかった。

「武装化が、喧嘩と関係してるの?」

 イブがしゃべりだすまで、私はコーヒーに口をつけては、彼女の生まれ持っての長いまつ毛を盗み見ていた。

「姉さんは、イブキを人道的兵器にするとか言っておきながら、結局、ただの兵器にしたんです」

 あぁ、そういうこと。

「パイロットさんは、姉さんを、いい加減な人だとは思いませんか?」

「いい加減?」

「だってそうですよ。言う事だけかっこつけて、私に説教するくせに、自分は何にも出来てないじゃないですか。人を子供扱いするのに」

「大人はそんなもんだよ」

「パイロットさんは、大人ですか?」

「どうかな……」

 私は笑った。

「ただ、私が言える事は、イブキの武装化は大人の事情ってやつだから」

「便利ですね。大人って」

「大変なのさ。大人って」

 彼女は私をじっと見つめ、ため息を吐いてから、細い眼をして、再び見つめた。

「パイロットさんも、大人なんですね」

「好きで大人やってるわけじゃないんだけどね」

 彼女は口を尖らせて、少し不満そうだったけれど、すぐにその顔を止め、いつもみたいに、笑みを私に向けてくれた。

「パイロットさん」

「なに?」

「今日、飲みに行きませんか?」

 それは良い提案だ。

 そんなわけで、私はルルとイブの間を行ったり来たりしながら、一日を過ごしていった。

 二人ともなんだかんだ言って仲が良い。遺伝子レベルで。

 今晩もう一人誘ったと告げ、名前を教えると、違う場所、違う時間で、二人とも口をそろえて、

「私は良いですけど……」

 と言い訳をしてくれてさ。声の抑揚まで一緒で、既視感を覚えたくらいだ。

 待ち合わせは京都重工正面玄関。

 あたりはすっかり暗くなり、実験棟や組立棟のてっぺんで、航空障害灯の赤い光が点滅している。

 そろそろ来るころだろうな。なんて思っていたら、

「あらあら、こんなところで、迷子かしら。綾咲スミレさん」

 カオルが来た。

「なんで?」

「なにかしら?」

 いつものようにスーツをそつなく着こなしているカオル。

「休日でしょ? 京都重工で何してるの」

「ここの無能共に講釈をしてきたのよ。イブキのソフトウェアの有用性を」

 こないだの実験棟半壊騒ぎで、新しいプログラムに上層部が難色を示したとかいう話を聞いた。

「感触はどうだったわけ?」

「最低よ。有用であればいずれ広まるだなんて、アタシはイブキに使いたいのよ」

 苛立ちを息に混ぜ、吐き出したカオルは、それより、と言って、

「ずいぶんと可愛らしい格好をなさっているのね?」

「いいでしょ。たまにはさ」

「構わないわよ。所詮、衣類などというものは、その人のステータスを示す道具であり、表皮保護でしかないのだから。アナタの本質的人間性に何ら変化をなさないわ。アタシの中ではね」

 カオルの中で世界はどう映ってるのか、一度見てみたい。

「ところで、綾咲スミレさん」

「何?」

「今夜付き合わない?」



 駅前にある、小さなバー。

 ネオン輝く他の店に比べ、自己主張の欠片もない質素な出で立ちを見せてくれる店。

 カオルはすでに店のステップを上がって戸口へ向かっていた。

「あの……。カオルさんは……」

 ルルは不機嫌ですと言わんばかりに無口のカオルを見て、私に耳打ちをしてきた。

「大丈夫だって。あれで機嫌がいいんだから。きっとさ」

 それに、愛嬌たっぷりのカオルなんて、怖いでしょ。

 ガラス戸を押して中に入ると、カオルは既に、カウンタで注文をしていた。

 カウンタの端に座るカオルの隣に私は腰を落ち着ける。

「何ふてくされてるのさ?」

 じろりと私を睨み、わかっているのでしょ? と言いたげな視線をよこす。

「嘘吐いたのは悪かったけど、別にいいじゃん。仕事仲間と飲むくらい」

「えぇ、構わないわよ。仕事仲間と飲むのなら」

 彼女はポケットから煙草を取り出し、火をつけ、深呼吸した。

 私はいつもどおり、ビールを注文する。

「パイロットさん、ここお洒落なお店ですね」

 イブは隣で、きょろきょろと眼を動かしながら興奮していた。

「それだけじゃないよ。カウンタの中に突っ立ってる爺さんがまた良い人なんだ」

 白髪の老人がビールで満たされたグラスを私の前に音もなく置いた。苦笑いをしながら。

「パイロットさんはよく来るんですか?」

 イブはカクテルを注文してから、私に尋ねた。

「たまにね。カオルはよく顔出すらしいけど」

 カオルは鼻から息をもらし、

「知らなかったかしら? アタシは年上の男性が好みなの」

 イブが真に受けて、頬をうっすらと紅潮させた。

 やれやれ、なんて思っていたら、その隣のルルまでも、動揺を表わすまいと動揺していた。



 生物工学の話ばかりだった。

 イブが饒舌に話、私が相槌を打ち、カオルが時折、口を挟む。

 手振りで細胞融合の様子を熱心に説明するイブを私は眺めていた。

 頬を少し染める彼女は確実に酔っ払っている。

「イブキと違って、この技術は人を幸せにします」

 イブはそればかり言っていた。

「イブはイブキが嫌いなの?」

 彼女は私を見つめ返し、口を開いた。

「嫌いじゃありません。イブキに使われている多くの技術は人を幸せにすることができるんです。ただ、それを兵器として利用するなんて、そんなの、納得いきません」

 そう言って、彼女はカクテルを一気に煽る。

「あんなのを嬉々として造ってる人の気がしれませんね」

 流し眼にルルを見るイブ。

「私達は、そんな思いで造ってなんかいないよ」

 私がそんな事を言うもんだから、不愉快だったのか、口を尖らせ、

「私は姉さんのことを言っているんです」

 わざと、大きな声で言ってみせた。

 するとカオルが、くすくす、と声を押し殺して笑い、

「なぁに、コノ子? 自分の面が曲がっているのに、鏡を責めてどうするの?」

 確かに、イブも装甲材を造るスタッフ。

「こんなこと言うのもなんだけど、イブキの武装化は、仕方がなかったんだよ。誰のせいでもないんだ」

 イブが酔っ払った胡乱な眼をして私を見る。

 いつもの、あの丸く磨かれた宝石のような瞳をされたなら、私はうめき声にも似た声を上げてしまっていたことだろう。

「姉さんが反対しなかったから、イブキは武装化されたんです」

「ルルは、反対していたよ」

 と私が言うと、隣でカオルはにやっと笑った。

「アナタは、イブキの武装化に賛成していたものね」

「賛成なんてしてないよ」

「アナタも、瑞穂ルルさんも同じなのだけれど、果たして、反対なんてしたかしら?」

「したよ。でも、反対しても、こうなったんだ。仕方がないことでしょ」

「そういうのをね、黙認、というのよ」

 私はルルの方をちらりと盗み見る。

 相変わらず、グラスに視線を落としていた。

「パイロットさんも、そういう大人だったなんて、幻滅ですよ」

 カオルは声に出して笑った。

「アナタ、ねぇ、綾咲スミレさん。幻滅されちゃったわね? アハハハ!」

 うるさいなぁ。

「すみません、スミレさん。イブが」

 久しぶりにルルが口を開いた。

「いいって。たぶん、その通りだからさ」

「イブはまだ子供なんです」

 カウンタを叩く音。

「子供って何!」

 イブは声を上げ、鋭くルルを睨んだ。

「子供は子供よ。お子様」

「だから、そういう事言われると、本当に腹が立つって!」

 止めようと私が腰を浮かせると、カオルに裾を引っ張られた。

「何?」

「面白そうだから、このまま。ね?」

 大丈夫かな。

「姉さんは、私のどこが、子供だって言うのよ!」

「全部よ、全部。社会はイブが考えてるほど甘くはないの」

「うるさいっ、この、へっぽこ技師が!」

 カオルは楽しそうに酒を飲んでいる。

「人を子供呼ばわりして。姉さんみたいな口先だけの技師に、そんな事言われる筋合いないよ!」

「何よ!」

「そうじゃない! イブキを兵器にしないって言ってたくせに、姉さんは結局、せっせと武器を組み立ててる!

 もうこれで言い訳できないよ。姉さんはやっぱり、反対なんてしてなかったんだ!」

「イブにはまだわからないことよ!」

「何がわからないよ! 私より早く生まれただけの癖に、自分の方が私よりわかってるなんて、嘘並べて、適当な事言って、適当な事やって! 姉さんはずるい!」

 ルルは一瞬、言葉を詰まらせてしまった。

「何よそれ……」

「会社だか社会だか知らないけど、姉さんはそれを言い訳にして、ただ逃げてるだけなんだ!」

「パンに不自由しながらじゃ、人は何も成せないくらいはわかるでしょ!」

「そんなの、やってみなきゃ分からないじゃない!」

「それが子供だって言ってるのよ! やらなければわからないなんてね、それこそ言い訳を使ってるじゃない!」

「じゃあ、姉さんは、食べるためなら、はいはい頷いて、兵器を造るんだ?」

「仕方ないでしょ!」

「そんなの嘘だよ! 兵器なんて造らなくたって、姉さんなら他に出来ること、たくさんあるでしょ!」

「うるさいわよ!」

「うるさくない!」

 そのまま二人は、睨み合った。まるで、仮面の奥から眼光を覗かせるように、表情を変えずに。

 私は身を乗り出して、

「ルルやめなよ。イブも」

 ルルはイブから視線を外し、私を見ると、目をつむり、大きく深呼吸した。

 彼女達をよそにカオルは煙草を揉み消し、ブランデーで唇を湿らせている。

 店の中では流行らない曲が垂れ流されている。

 静かになったのは良かったけれど、これじゃ静かになりすぎだ。

 グラスの置く音ばかりが行き来する。

 すると、カオルが、くすくす、と笑い、

「悪魔でも聖書を引くことができる。そうは思わないかしら? 瑞穂イブさん」

「え……?」

 カオルは独り言のように、しゃべった。

「飢えに貧困。子供が育たずに死んでいく傍らで、アタシ達は肉を頬張り、ぶどう酒で憂さ晴らし。その癖、この世界は、アタシ達の誰もが、そしてどこにいようとも、生き、愛し、夢を見る権利を持ち、誰もがこの権利を持っていると嘯く。兵器を造りながら、世界平和を唱えるほどに馬鹿馬鹿しい。けれどね、瑞穂イブさん。それを挨拶のようなものと認識してしまえば、面倒はない。理解できる」

「そんなの……!」

 イブは誰とも視線を合わせず、手を強く握りしめていた。

「でも……兵器を造るのは悪い事でしょ」

 カオルは煙草を取り出し、マッチを擦った。

 この箱庭のような世界で、自分がいろいろな事を知って、そういう事を知りながら、無力のためにそれをどうにも出来ない。

「どうして、誰も、何も言わないの……」

 頭を焦がしたマッチが、灰皿に投げ込まれる。

「そんなこと、理屈なんて並べなくったってわかる事なのに!」

 イブは鞄をひっつかむと、席を立ちあがり、店を出て行った。

 ガラス戸が軋むのを止めた時、

「すみません……」

 俯きながら、ルルは謝った。

 煙を吐き出しながら、

「足りないわね」

 とカオル。

 カウンタに置いてある紙幣を見て、私も頷いた。



 潮風が顔に当たり、波の音が聞こえる。暗闇で海の表情は見えないけれど、街を背にしたこの空は、星の光が眼に届く。

「どうしたんですか? 夜間水泳ですか?」

「ここ、座っていい?」

 イブは何も言わなかった。

 私は防波堤に腰を掛け、海を眺めた。

「さっきの事なんだけど」

「みんな人の命を何とも思ってないんですね」

 彼女にかける言葉は、きっと、どれも真実味に欠けたものにしかならないとわかっていた。

「……イブ」

「そんなの許せない」

「……もう許してはくれないだろうか」

 それは私の悲鳴にも似た懇願だった。

 私と彼女の間を風が通り抜け、髪を揺らす。

 二人のしじまに、海を撫でる風と、満天の星を含む海はどこまでも饒舌だった。

「パイロットさん」

 私は黙って彼女を見た。

「人は、何で生きるんですかね」

 暗い海の先を、見つめていた。

「怖いこと言わないでよ」

 彼女は首を横に振った。

「別に生きていることを否定しているわけじゃありませんし、死が素晴らしいとも思いません。ただ、単純に、わからなくなっただけです。どうやったって、誰かに迷惑をかけなければ生きられないなんて」

 私だってわからないさ。

「綾咲さん」

 彼女は、遥か雲海の彼方に問いかけるように言った。

「生きるって何ですか?」

「理由がないと、生きちゃいけない?」

「理由なく人を傷つけて、それで、どうして満足できるんですか……」

 私は脚を組み直す。それしか出来なかった。

 いや、ハンカチを渡すこと。これが私に出来る、残された唯一のことだった。

 私はそれ以上、何をしていいかわからなかった。

 優しい言葉をかければいいのだろうか。頭を撫でればそれでいいのだろうか。そばにいるだけでいいのだろうか。何も言わず、立ち去るのがいいのだろうか。

 私はただ、臆病なだけで、黙って座っていた。

「……パイロットさん、ごめんなさい。聞いてくださって、感謝します」

 私は、卑怯だ。





「こちらリサーチ〇一。射撃統制装置正常。目標捕捉。攻撃開始します」

 通信機の向こうから、攻撃許可が下りる。

 私の右手が、引き金を引く。

 瞬間、イブキから対人用指向性散弾が射出され、上空高くに打ち上げられたポットのようなそれは、目標を捉えると、内包する可塑性爆薬で無数の鉄球を飛散、目標に撃ち付けた。

 地面を叩く、甲高い金属音が鳴り終わる。

『対人用指向性散弾に問題なし。実装完了。お疲れ様です』

 ルルが言った。

「レールガンの方は?」

『来月届く弾道ミサイルが揃えば、完成です』

「ADSは?」

『来週には調整が済みます』

「イブは?」

『……今週中には、仲直りしたいと思います』



  ゼネラル社実験場での対人兵器評価試験は昼前に終わり、私は、実験場のはずれで真っ青な海を、眺めていた。

 雲の形は柔らかで、頬を撫でる風がかすかに冷気をはらんでいる。

「隣、いいですか?」

 振り向くとルルがそこにいた。

 彼女は私の隣にちょこんと座ると、ただ黙って、海の向こう側を見つめた。

「イブも、そんな風にして、海の向こうを見つめてた」

 ルルから答えはなかった。私は雲を見たまま、続けた。

「呑む?」

 煙草の箱から一本差し出す。

「カオルがくれた。瑞穂イブさんによろしくって。あの店出る時」

「私、煙草は吸えません」

「そっか。イブと同じだね」

 私は取り出した一本を口にくわえ、箱をポケットに再びしまいこむ。寝そべって見る空は、眩しくて、腕で影を作らないと、目を開けられなかった。

「スミレさんは煙草吸うんですか?」

「火がないから、吸わない」

 煙草からは、カオルの匂いがした。

「イブに随分、偉そうなこと言ったもんだよ。私」

 雲がゆっくりと形を変えていく。

「何で人は生きるの、って聞かれてさ。私の答えが、生きることに理由なんてない、だよ? 笑っちゃうよね」

 私だけの空虚な笑いが一つ。

 ルルは、道端に生える名も無い花のように、地に根っこをはやして座っているだけだった。

「……イブが怒ってるのは、ルルにじゃない」

 口の動きに合わせて、煙草が揺れる。

「私だよ」

「そんな事ありません」

「ルルはイブじゃない」

「イブだって、きっとそう言うに決まってますよ」

「人は、本音でしゃべらない」

 私の薄っぺらい返答が通り抜けた。

「ごめん。友人の独り言と思って」

「……ごめんなさい」

 波音を二つほど聞いてから、

「イブキプロジェクトって、一体、何の為なんでしょうね」

 とルルが言った。

「……監視システムを強化して、南を警戒する計画」

 と私。

「それだけのために、対人兵器や、明らかに過剰装備な弾道ミサイルを積載するんですか?」

「政治的な目的か、あるいは経営戦略か。どちらにせよ、イブキの機体特性とその設計思想から、付与すべきはそれじゃない。イブキの主要運用地は市街地なんだ。十分なスペースを確保できない市街地でレールガンのような長砲身はなんの役にも立たない。それだけでわかるよ。イブキはもう、ただの広告塔になり下がった」

「たぶん、最初から」

「そうかもね。見た目がすごいもん。見せるためにあるよう」

 私はいい加減、煙草を口から取り、手の中に隠した。

 実験場ではイブキはトレーラに積み込まれ、後片付けをされている。

「スミレさんは、何でイブキに乗るんですか?」

「何でって……仕事だから?」

「仕事で兵器を造る事に、疑問を持ったことは?」

 私は飛び起きる。

「ねぇ、ちょっと待ってよ。何? まさか仕事を辞めようって言うんじゃないよね?」

 ルルは頷くことも、首を横に振ることもしなかった。

 しばらく彼女の横顔を眺めて、私は正面の海に視線を移した。

「疑問ね。兵器を造る事が、自分にとって、本当に正しい事かどうなのかって考えたことはある」

「正しかったんですか?」

「どうだろう」

「間違っていたんですか?」

「さぁね」

 ルルは眉をひそめた。

「どっちだったんです?」

「だからさ。正しいとか、正しくないとか、間違ってるとか、間違っていないとか、それって、全部、言葉でしかないんだよ。真実と虚偽は、言葉の属性であって、ものごとの属性じゃないんだ。言葉がなければ、真実も虚偽もない」

 ルルは波音にかき消されてしまいそうな小さな声で、

「言葉がなくても、きっと背徳はあります」

 聞かないふりをすればいいのかとも迷ったが、

「道徳的行為こそが正しいなんて、嘘だよ」

 お互い、間を空けながら、会話をする。

「道徳や常識なんて、誰かが決めた規則でしかないって言いたいんですか?」

 私は水平線を見つめ、答えた。

「いや」

 これは、カオルに教えられたことだ。

「そう思わないと、辛過ぎるでしょ?」

 実験の評価レポートを作成するために、私は会社へ戻った。



   イブキを造る事が正しいか間違っているかは微々たる問題なんだ。

問題なのは何をするにしても、人を救えないということなんだ。

私は、兵器を造る事が反対で、戦争に反対で、平和や自由を渇望する癖に、イブキが自分の思い通りに動いた時は物凄く興奮する。

あいつが兵器だってことを分かっていても、やっぱり、喜んでしまう。

そんな自分がいるんだ。

 だから、そう。

つくづく、嫌気がさした。今度こそ、諦めがついた。

平和のためとか、自由のためとか、もうそういうのに飽きた。自分が生きる上で、中途半端に願った思いが足枷になるのはもう嫌なんだ。

イブキを造る理由一つ、答えられない私に、正義も真実も、私が生きていく上で、一体、どれほどの価値がある? 意味がある?

 イブキを造ることや、テストパイロットを続けていくことなんて、こんなの、生きていく上での通過点でしかないんだ。

 神様に祈ったところで、世界はよくなんてならなかった。選挙で誰を選んだところで、この国はよくなんてならなかった。

誰に期待しても無意味だ。自分に期待しても無意味だ。自分には、何もないというのがことごとく証明され、他人には、何にもないというのがつくづく実感した。

 自分に無い何かを他人が持っている事も、他人に無い何かを自分が持っている事も、あるわけない。

 ある意味、世界は平等だ。

 善人の上にも、悪人の上にも雨は降る。とはいえ、雨は公平なんかじゃない。もともとが不公平な世の中の上に降るのだから。

 給料をもらうために、生きていくために、イブキを造る。けど、自分のやっている事が間違っている。正しくなんかないというのなら。それが真実というのなら、私に真実なんて必要なのか。

 真実は一体、何のためにあるんだ。

「なんて面をしているのかしら。コノ子は」

 オフィスでパソコンに目を奪われている私の顔に、カオルは缶コーヒーをあてがった。

「ありがと」

 私の謝意に彼女は手を挙げて答える。

「ねぇ、カオル」

 隣でキーボードを叩いている彼女に、私は話しかけた。

「カオルは、何故イブキを造るの?」

「アナタも懲りないわね?」

「今度のは違うよ。その、辛くはない?」

「何が」

「どうして、自分がイブキなんてものを造らなければならないのかって」

「極論すれば、お仕事だから」

「それは、そうかもしれないけどさ……。そうじゃなくって」

 私は言葉を探り、

「なんて言うか」

 腕を組み、

「そのぉ……」

 カオルは手を止め、私に向きなおった。

「はっきりなさい。アナタ、テストパイロットでしょ?」

 私のパソコンの画面にスクリーンセーバが景気よく踊りを始めた。

「私も、カオルも、自分がイブキを造る理由がない。自分である理由がない」

「それは、何故、アナタがアナタなのか。何故、アナタは生きているのか、と同じことよ。それによって、自分が証明されるからよ」

「それでいいの? 辛くない?」

「何も感じないわね」

 カオルは自嘲するような笑みを浮かべた。

「棺の中と同じでね、辛くも、悲しくもないわ。何も無いのよ」

「それが、どんなに、切ないんだ」

「それは、とても幸せなことだわ」

 私は笑った。たぶん、その時の私は本気で笑ってた。





 実験の回数は、次第に増えていった。

 私は、イブキを操り、違和感を感じれば、書きとめ、報告し、また、イブキに乗る。

 いつもと変わらない日常を消化する中で、どうして、イブの言葉がずっと引っかかっていた。

 私達は、生きているだけで、理由なく、人を傷つけているんだ。

 ただ生活するだけで、誰かを追い詰めている。

 それで、満足できるのか。

 ただ生活するだけで、充足感はなかった。

 ここにいる自分が、生きているだけだった。

「どうでしたか、イブキは?」

 操縦席を出ると、ルルに質問される。

「右の感圧が若干甘め」

「わかりました。他には」

「あんなもんだよ」

「問題がありましたか? それとも、ありませんでしたか?」

「なかった」

 私は大げさに肩をすくめた。

 スタッフはただ、イブキを造り上げていく。そこには意味と呼ばれるものは無かった。

 仕事だから。

 イブキで誰かを救える事など無いと、誰もがわかっていた。

 イブキで何かが変わる事など無いと、誰もがわかっていた。

 生きていくことで、何かが変わる事などないと、私は実感していた。

 相変わらず、北は南を差別し、南は北を睥睨する。明確な線引きが目に見えるわけではないのに、私達は、互いに差別をする。

 意味なんて無い。

 そうすることで、生きている。

 カオルはたぶん、こういう事を知っていたんだ。

 今になって思う。

 カオルは誰の命を救うわけでもなかったんだ。自分の命を救うために兵器を造っているんだ。自分には、それしか出来ないとわかってたんだ。

 私は、ただひたすらに、造る事に意味を求めていた。そこに、自分の追い求めるものがあると信じていたからだ。

 そう、意味なんて無いんだ。

 この麗しくも醜悪な現実に、意味など、もともと、はじめから存在しなかったんだ。

「スミレさん」

 ルルが更衣室に訪れた。

「もう帰るよ」

 私は服を纏い、彼女の横を通り過ぎる。

「待ってください」

 彼女は真剣な眼差しで、私を見つめていた。

「どうしたの?」

「それは、私の台詞です。どうしたんですか、スミレさん」

 ルルは、出口を塞ぐように私の前に回り込み、立った。だから、私は長椅子に戻り、腰をかけた。

「私は、スミレさんが心配です」

「心配なのはルルのほうだよ。本気で京都重工を辞めるつもり?」

「中途半端な気持ちで実験をしていると、いつか事故を起こします」

 可笑しなことを言う。

「問題なく仕事を処理してるはずだよ」

「起こしてからじゃ遅いんです」

 彼女は、私じゃなくて、イブキを心配してるのではないだろうか。

「イブキのロールアウトまで、もう時間がないから、壊したら大変だもんね」

「そうじゃないです。私は、スミレさんの事を」

「ありがとう。でも、大丈夫だよ」

「大丈夫じゃないですよ」

 どうすれば、彼女は扉から離れてくれるだろうか。

「スミレさんがこのままの調子なら、テストパイロットの交換も余儀ありません」

「私でなくても務まるからね」

「そういう事を言っているんじゃありません」

 彼女が何を言いたいのか、何を示唆しているのか、わかっているつもりだ。

「じゃあ、ルル。教えてよ。私はルルの言いたいことがわからないから。ルルは一体、私に何を言いたいの」

 わかっているから、聞きたかった。

「気合い入れてください。最近のスミレさんは、いつものスミレさんじゃありません」

「いつもの? 兵器を造ることに一所懸命のほうが、普通の私って言いたいわけ?」

 ルルは視線を私から逸らし、床を見始めた。

 綺麗に磨かれた床で、ぼんやりとルルが映っている。

 何も答えてくれないルルの代わりに、私が先に、口を開いた。

「どうして、私がイブキを造らなきゃならないわけ?」

「スミレさん……」

 教えて。瑞穂ルル。

「そういうことだよ、ルル。理由がないんだよ。なにもかも」

 私は立ち上がって、ルルに詰め寄った。ルルは表情を強張らせた。

「ルル。私達は、この茫漠とした世界の中で、これっぽっちも理解出来やしないくせに、自分の預かり知らないところの罪をも背負わなければいけないんだ。怨まれてるんだよ、私達は」

「……誰からですか」

「世界」

 私は舌打ちをして、自分の頭を小突いた。

「……ごめん。ふざけた」

彼女のおびえた顔が、私の記憶に張り付くのが嫌だった。

「いえ……。どうか、気にしないでください」

 ルル、ごめん。私はただ、逃げたいだけなんだ。イブキを造る事から、兵器を造る責任から、逃げるために……。

 兵器は、ガキのファッションとは違うんだ。





  京都重工を出て、帰路に着く。

 道を歩けば、人とすれ違い、電車に乗れば、隣合わせに立つ。

 一体、この中の何人が、兵器を造っているのだろうか。

 直接的、間接的に関わっている関連就業者は全人口の約一割だという。

 たかがトースタの構造が大砲と同じで、たかが花火の現象が、爆撃と同じである。

 介護ロボットや、作業ロボットを造っていたと思ったら、いつの間にか、イブキを造っているなんてことは、よくある話。

 街灯に照らされる道を歩く。

 等間隔に灯る光は私から影を伸ばしてはかき消す。

 ふと、視線を感じた。

 鉄塔からの一方通行の眼が私に向けられている気がした。

どこまでも、私がどこにいようとも、憑いて回る。

 意識すればするほどに、背中に寒気が走った。

 何かを責めるように、私に視線を向けている。

 全てを見ていると、私に警告している。

 私は、その眼から逃げるように、走った。

 どれほど走っても、走っても、その眼は執拗に私を見つめ、覗いてくる。

 もういいだろ。もう充分だろ。

 私は何も悪い事をしていないだろ!

息が荒いままに、自宅へ駆け込んだ。

真っ暗な部屋。時計が刻む針の音。今朝まで誰かが寝ていた形をするベッド。

窓から時折、車のヘッドライトが覗きこんで、それら様子を照らし出す。

私は靴を脱ぎ捨て、冷蔵庫に手をかけた。

低い唸り声を吐き出し、うすらぼんやりとした明かりで私の顔を照らす。

ビール缶は品切れだった。

突然、電話が私を呼び始めた。

私は受話器を取り、ベッドに腰掛けてから耳にあてた。

『もしもし?』

 受話器からは慣れ親しんだ声。

「ルル?」

『あっ、パイロットさん。イブです』

 心臓が跳ね上がった。

「あぁ、ごめん。どうしたの?」

 イブは笑った。

『パイロットさん、どうしてるかなぁ〜、なんて』

「うん。今帰ってきたところ」

『そうでしたか』

「イブは?」

『え?』

 私は、小さな照明のスイッチを入れた。暖かそうな光が、私の側面を照らし、影を作る。

「イブ、そこはどこ? 今、何してるの?」

『こないだのお店にいます』

 店の隅から掛けてきているのか。

「イブ。酔ってるね?」

『アルコールは摂取しました。誓います』

「ルルは、そこにいる?」

『いません』

「そう」

 私は腕時計を見た。

「うちに泊まっていく?」

『えっと』

「その代わり、ビールを買ってきてね」





二十分程して、ドアチャイムが鳴った。

彼女を招き入れ、私はさっそく、ビールを注文する。

「すみません、突然」

 彼女は私に缶を手渡しながら、そう言った。

「ううん。私がただビール飲みたかっただけだから」

 テレビが見える位置に二人とも腰を下ろし、ベッドを背もたれにした。

二人して、ビールを喉に流し込む。

 缶を置く音が重なった。

「さっきの電話さ」

 イブは缶から口を放して、頷いた。

「私、イブをルルと間違えた」

 彼女は、あぁ、と言って、

「よくあるんです」

「そっか」

 二人してビールを呷る。

 二つの缶が同時に置かれる。

「姉さん、京都重工を辞めるらしいです」

 私は、頷いてから、

「本当に辞めるつもりなのかな?」

「はい」

「……わかった」

 缶に唇を付ける。

「パイロットさん」

 イブは、私の裾を掴んだ。

「どうか、姉さんを説得してくれませんか」

「私には、何もできない」

「でも」

「ルルが自分で決めたんだ」

 彼女の握りしめた手からは、ゆっくりと力が抜けおちていった。

「……なんでも、ありませんでした」

 彼女は「ごめんなさい」と小さく呟いた。

「姉さんは姉さん。パイロットさんはパイロットさん。そういうことなんですよね」

「そういうわけじゃないさ……」

 私は残ったビールを一気に流し込んで、二杯目を取りだした。

「ただ、意味なんてないってこと。誰がどんな選択肢を選んでも。だから自由なんだ。中途半端な同情は自分の首を絞める。だったらいっそ、意味がないって割り切ってさ、みんなでたらめだから、ルルは好きに生きられる。そう思えば、人は自由になる」

「パイロットさん」

 私は鼻で笑った。

「でも、同時にすごく怖いことだと思わない?」

 彼女はじっとこちらを見据えた。

「つまりさ、自由過ぎるんだよ。この世界は」

「パイロットさんも、姉さんも、私も、皆個々に独立した存在で、干渉することを知らないからですか」

「それ以前さ。例えば、受話器を耳に押し当てた私は、その先に、誰かが居ると思って口を開くんだ。全部、自分勝手な思い込みで成立する会話。この時、自分、あるいは他人の存在はどこにあるのかな」

「私はここにいますし、パイロットさんだってここにいるじゃないですか」

 私は居直る。

「そうじゃない。あの時、私はイブをルルだと思った。これって、存在が物質的なものでなく、現在の誰かがイブであり、ルルであり、私なんだ。個性とか、存在意義とか、そういう意味と呼ばれるものは一切無かったってこと」

「そんな話、突拍子もないですよ」

 私がビールを傾けている間に、彼女からの応答はなく、缶を置く音を合図に、イブは口を開いた。

「私は、パイロットさんが他の誰でも無いように、他人に干渉することが出来るのが、人だと思います」

「記憶と、応答のみで他人を確立してしまう私達の存在なんて、この世界にもともと実存としてあるのかな」

「あります」

「偽りも真実も分け隔てなく、それによって私という記憶が引き出された状態であれば、いかなる応答であろうとそれは私になる。過去の私に縛られる現在の誰かが私であり、その私には個性というものは存在しない。干渉というならば、私という存在には他人の記憶が不可欠であり、私が自身の存在を確かめようとしたならば、他人からの応答、周囲からの反応を追い求める必要がある。でも、それって結局、私自身がアイデンティティを確立しているのではなく、他人によってはじめて、私が私たらしめる証しを与えられてるってことじゃない。私が他の誰でもない私である理由はどこにもない」

 イブは私の腕をつかんだ。

「この腕は、私がつかんだからここにあるんですか? それとも、あるから私がつかめたんですか?」

「それは最も簡単な欺瞞だよ」

「欺瞞でも何でもありませんよ。あるものを無いなんて言ってるパイロットさんの方がよっぽど虚構に満ち満ちてるじゃないですか」

 彼女の手は火照っていて、熱を帯びた手で掴まれる腕は焼けるように熱くなった。

「ならイブは、何も無い世界で、自分が自分であることに明確な意味を持てる?」

「意味?」

「自分に何が成せるのか。何故、私は私なのか。もっと言えば、そもそも私は何故、生まれてきたのかってこと。何のため、誰のため、なんでもいいんだ」

「私にはわかりません。けど、ある人は言ったんです。どうして人は生きるのか。それは生きるためだって。だから、きっと生きることは目的であって手段なんかじゃないんです」

 私はビールを呷って、カオルのように口を歪めて鼻で笑った。

「それを言った人間は、多分、何も考えてない無責任なやつだよ」

「なら、二人とも無責任ですね。私も今、言いましたから」

 彼女は得意げに手を組んだ。

 澄まし顔が、どこか幼くて、可笑しかった。

「何でだろうね。どうしてこれが現実なんだろう。どうして真実でさえ必要なんだろう」

「現実がなければ、真実もないからです」

 彼女は悪戯っぽく笑った。

 私は深呼吸をして、残ったビールを飲み干してから、

「まるで、こないだみたいだ」

「じゃあ、私がパイロットさんっていう設定で」

 何を胸を張ってるんだ。

「何でも頼って。ください」

 それ、私なのかな。

「それじゃあ……」

 私はイブを演じるんだっけ?

「姉さんに仕事を辞めてもらいたくないんだ」

「それ、私じゃないですか」

「そういう設定じゃなかった?」

 彼女は頬を染めて、

「そうです。そういう設定です」

「どうすればいいかな?」

 イブは頭を掻いたり、口を尖らせたり、唸ったりした。

「それはですねぇ。姉さんが私の前で笑ってくれたら解決します。きっと」

「笑う?」

 と私。

「姉さんが、辞めることで幸せなんだって、そう私の前で言ってくれたなら」

「そっか」

 イブを安心させるために、私は嘘を並べることが出来た。

「ルルは笑ってくれるよ」

 それは、私自身、優しい嘘に包まれていたいと思うからなんだろうか。

「パイロットさん」

「何?」

「ちゃんと私を演じてください」











                                       第四章



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