第一章






扉が閉まり、足音が遠のく。

私は飲みかけのお茶に手を伸ばしてから、もう一方の湯飲みと中身を交互に見比べた。

「飲まないの?」

私と違って、彼女は一口も飲んでいない。

「飲めないわね」

「猫舌だから?」

「飲まないのよ」

彼女はお茶をゆらゆらと揺らし、時折光るお茶の表面と遊んでいるだけで、口をつける気配は一向に無かった。

私も彼女の真似をしてみたけれど、やっぱり、飲んだ方が美味しい。

自分のお茶を啜る音が盛大に響いた事で気付いたのだけれど、人の気配が消えていて、足音ひとつ聞こえなかった。

その時だ。

「……アナタ」

唐突に彼女は、この小さな待合室に澄んだ声を響かせ、細めた眼と歪めた口元で、私を見据えた。

「まだアノ子と付き合っているのかしら?」

「それ、どういう意味?」

彼女はただ笑って、

「おかしな意味じゃないのよ。綾咲スミレさん」

頭上では古ぼけた換気扇がカラカラと回っているだけで、そのくせ、タバコの臭いが染み付いている待合室。

「どうなのかしら?」

手の中にある湯飲みに眼を落としたところで、良い答えは浮かんでこなかった。

「相変わらず、仲良くしているのね」

「それっていけない事?」

「アナタはどう思っているのかしら?」

「私はカオルに聞いてるの」

煌々と光る室内灯に顔を照らされながら、カオルはくすりと影を落とす笑いを漏らした。

「これはアナタの為を思って言うのだけれど」

いやらしい笑みを浮かべ、閉まり続けている扉の先をわざとらしく窺い、小声で話し出した。

「アノ子は京都重工。アナタはアタシ達ゼネラルのスタッフ。仲良くする事がイケナイ事かどうか、分るわよね?」

「どうして」

「分らないのかしら?」

「分るけど……」

分らない。

「だって、京都重工とは共同開発の仲間だよ? なんでルルと仲良くしちゃいけないのさ」

カオルはにやにやと笑い、手で口元を隠した。

「例えば、綺麗事を言いたいが為に、アノ子を信じているなどと嘯くのならば今すぐやめなさい」

「だから、どうして」

「いいこと? これはとても大切な事なのよ、綾咲スミレさん。何故ならば、アノ子を含め、南の人間はとても危険な存在。彼ら、ないし彼女らを信じるという事はとても愚かしい行為なのよ」

「カオル」

私が反論を言いかけるより先にドアをノックする音がして、

「お待たせしました」

とルルの声が続き、扉が開いた。

カオルは彼女の顔を見るなり、

「噂をすれば何とやら」

何て、笑いながら腰を上げた。





ルルに案内され、昇降機にカオルと三人で乗る。指紋一つ無いガラス張りのそれは、昇るにつれ、ありのままの、私達の住む街を映し出していった。

どこまでも伸びる高層建築物。そこここに建てられている鉄塔。車は相変わらず地べたを這いずり、私が幼い頃に想像していた、潔白な未来とは違う、泥臭い街。

私はそんな街を眼下に見下ろし、口を開いた。

「この鉛色の街がモデル都市だなんて、行政府もどうかしてるよね」

昇降機の扉が子気味よく開く。

「素敵な街じゃない」

 カオルは嘲笑なのか、微笑なのかわからない曖昧な笑みを浮かべて、ルルの背中を追った。私もそれに倣い、カオルの後ろ髪を追いかけた。

「厭味?」

 と私。

「本音」

 細長い廊下に彼女は声を響かせた。

「ここは美観化と合理化がなされた、秩序ある街。アナタは一体、それのどこに不満があるのかしら」

「そういう街だから」

 答えてから、廊下の窓を見た。

美観化も合理化も、人間のためではなく、まるで機械のためにあるような街。城壁のように都市を囲む巨大なビル群は、空を塞ぎ、監視の眼が付いた鉄塔は、自由に影を落とす。

この街は、監視都市だ。

「カオルはこういう閉鎖的な空間が好きなの?」

「えぇ」

 彼女は私をちらりと見ると、口元を歪め、

「社会性の塊みたいなこの街は、慣れればなんと住みやすい事、なんて思えるわよ」

「私は慣れないな」

 私の顔を覗き込んで、彼女はねっとりと笑った。

「この街が気に入らないのであれば、どこか南の団体のように暴力に訴えて変革させようとしてみてはいかがかしら?」

「カオル」

「冗談よ」

彼女は口をひん曲げながら、肩をすくめた。

「ここです」

前を歩いていたルルはそう言って立ち止まった。彼女の目の前に鎮座する扉には“関係者以外立ち入り禁止”の文字。

ルルはごそごそとポケットに手を入れて、

「今、鍵を開けますね」

キーカードを差し込んで、その扉に手を掛けた。

ルルによって、開け放たれる扉。その先にあったのは、無機質な空間と、大きく分厚いガラス窓。

ガラスの向こう側からは重機音や怒号が小さく聞こえ、鼻を刺激する油の匂いが、うっすらと伝わってきていた。

「何かいるわね」

興奮した口調でカオルは言った。

私もカオルの後に続き、窓へと歩み寄った。そこからは京都重工の組立作業現場を見下ろす事が出来た。

コンテナが幾つも転がっていて、ライトが煌々と光る高い天井からクレーンが何本も伸びている。

そして、そこで私の目に飛び込んできたものは、常識を疑うものであった。

「アタシ達の範疇を超えているわね」

カオルの声は笑っていた。

私は声を出す事も忘れ、ただ、それを見て、自分の目がおかしくなったのかと思うだけだった。

でもこれは現実で、隣で、眼を輝かせながらに口元を緩めるカオルがいる。彼女にも確実にそれは見えているんだ。

私にも見えている。

全高二〇メートルは越すであろう。

彼の顔は、生々しく、眼はない。四肢はがっしりとしていて、重々しい。背中からはたくましい尻尾が地面へと長々と伸びていて、外骨格で形成される真っ黒な肢体に、私は視線を奪われた。

「どうですか?」

いつのまにか、ルルは私の隣に居た。

「ちょっと怖い」

 私は笑ってみせる。

「私もです」

京都重工のスタッフに組み上げられている彼は天井から吊るされており、溢れんばかりに飛び出す赤黒い体の内部を晒し出していて、こればっかりはどうも、うけつけない色形をしていた。気持ち悪い。

「アタシは」

カオルはにやにやと口を三日月のように引き伸ばしながら、

「コノ子、なかなかに可愛いと思うわ」

「可愛い?」

私の疑問にカオルはこくりと頷き、ご丁寧に説明を加えた。

「臓物のような光ファイバケーブルや蛇腹ホース。そして何より、アクチュエータである本物そっくりの人工筋肉。外骨格で黒々とした無粋な外見はさておき、その中身は愛撫したくなる、そんな官能的、性的興奮を覚えるわ」 「私には気味悪い怪獣にしか見えないよ」

私の言葉に、くすくす、とカオルは笑って、

「イブキを怪獣ですって? アナタ、面白い事言うわね」

「見たまんまじゃん」

私は窓の向こうを親指で差す。

「確かに、強大で重量感に溢れ、その悪魔的風貌は人類の畏怖の対象として相当に秀でる物であり、まさしく、その意味において怪獣の生得を射ていると言わざるを得ないけれど。でも、とても可愛いわ。監視システムのプロパガンダとして収まるには勿体無いくらいよ」

カオルは眼を細め、イブキを舐めるように見続けた。

「あの」

とルルの控えめな声。

「正午には組立も終わります。運転試験は予定通り行われますので……」

「うん。把握してるよ」

 ルルはにっこり笑った。

「一応規則なので言っておきますけど、組立棟に入る時はヘルメットを忘れないでくださいね」

「カオル、聞いてた?」

 カオルは片手をひらひらと揺らし、視線をイブキから外さなかった。

「わかったってさ」

 と私が言うと、彼女は小さく頷き、カオルと私に頭を下げた。

「では、後ほど実験場で」

そう言って私に小さく手を振り、部屋の外へと小走りに出て行った。組立作業に戻るのだろう。

私はイブキに視線を戻す。

つくづく思う。

気味悪い。

動かすならもっとスマートな、あるいは不恰好でも正義のロボットがよかったなぁ。

なんて。

「それにしても、やられたわね」

 カオルは言った。

「何が?」

さらりと肩にかかる髪を手で流したカオルは、笑顔のまま、しかしながら声は違った表情でしゃべり始めた。

「京都重工が、まさかこれ程のハードウェアを建造する技術力があったなんて」

「技術者としての嫉妬?」

「危機感よ」

すると、思い出し笑いをするかのように、突然カオルは、くすくす、と笑いを押し殺し始めた。

「何笑ってるのさ?」

「京都重工なんて南の企業が、何故、イブキ開発に加われているのか。確信的推論がこんなにも簡単に出るとはね」

「それって?」

 彼女は口元を色白な手で覆った。

「あれは軍事技術として特一級品の価値を持っているのよ」

「違うでしょ」

「何?」

「あれは民生技術」

 イブキに視線を戻した彼女は、澄ました横顔で妖艶な声を出した。

「だから京都重工は技術を売った。それをこのように使用したのはアタシ達ゼネラルであって、京都重工に非はない。悪いのはあくまでアタシ達、死の商人」

「……なにそれ?」

カオルはただ笑って、答えてくれなかった。

「ゼネラルが兵器を造っていたのは昔の話だよ」

 すると彼女はゆっくりと口を開き、

「造るのを止めたのも、また昔」

 私は眉をひそめ、彼女を見た。

「イブキは監視システムだって聞いてるけど」

 カオルは滑らかに眼だけをこちらに向け、

「その意味が分からないわけもないでしょ?」

 私はイブキに視線を戻し、その意味を咀嚼した。





正午過ぎ。海岸に隣接する実験場内でホワイトボードを囲むようにパイプ椅子が並べられた。実験前の最終確認だ。

資料が配られ、イブキに関する説明が開始される。

私はとにかく、兵器、という単語を探した。

意図的か、あるいはそうでないのか、どちらにせよ、資料にも、前でイブキの概要を説明しているルルの言葉の中にも無かった。

私はほっと息をつく。

イブキは兵器でないのだから、当然だ。

そんなことをぼんやりと考えていたら、説明も終わった。

「何か、質問はありますか?」

 ルルはざっとあたりを見渡す。

 質問を締め切ろうとしたその時、

「質問ではないのだけれど……。イブキの事で、よろしいかしら?」

 カオルは手を挙げた。

「はい、是非」

 ルルはにっこりとほほ笑む。それに比べて、カオルはなんて冷たい視線を向けているんだろう。

 カオルは手を膝の上に置くと、

「アタシはね、瑞穂ルルさん」

「はい」

「イブキは兵器として少々、足らないと思うのよ」

 何の躊躇もなく、そういうことを言ってしまうんだ。裏切られたというより、清々しいとさえ思える。

「……何の……事でしょうか?」

 ルルは明らかに動揺していた。

 当たり前か。今の今まで、たぶん、彼女のことだ。本気でイブキは兵器ではないと思っていたのだろう。私がそう、言い張ってきたから。

どこからか、わざとらしく咳払いがされたが、カオルは飄々と演説を始めた。

「イブキを監視目的の為に、悪魔的風貌にしたり、あるいは宗教的観念にそぐわせる為に二足歩行を利用したり、それら威圧による抑止効果を期待する事に関しては何も言いたくはないのだけれど……。京都重工さんのセンスの問題なのだし」

ゼネラルの人間が薄ら笑いを浮かべる。

ただ、とカオルはつけたし、

「アノ子には兵器として決定的なものが欠けている」

「何の事ですか……?」

ルルは言葉の意味を探るように、黙り込んだ。

「アタシが言いたい事はね、瑞穂ルルさん。現段階のアノ子だと、限界的緊急状態においては致命的能力喪失を招来し、状況安全を阻害する恐れがある、という事よ」

ルルの困惑顔を見て、カオルは溜め息を一つ吐いてから、

「アノ子には人命の安全が保障されていないのでは? そう言っているのよ」

 ルルは、おずおずと、自信なさげに答えた。

「……それは、本機の大きな特徴のひとつでもあります遠隔操縦によって解消されています。パイロットの生命は常に安全で、イブキはあらゆる技術的観点からパイロットのみならず、周辺地域への安全をも保障しています」

「それは結構なこと。頼もしいパートナでアタシも鼻高々」

カオルは髪の端をくるくると指で絡め、遊びながら、

「瑞穂ルルさん。どうもアタシの言う人命とアナタの言うあらゆる技術的観点とやらで保障される人命に決定的な齟齬があるみたいね」

「……」

いやらしい笑みを浮かべたカオルに見詰められたルルは、身じろぎできないでいる。ルルのそんな姿を見ても、私はただ、黙っているしか出来ないでいた。

「アナタによると、イブキは全ての生命を保証出来るかのような言い草だけれど……。どうかしら? アタシのこの解釈は間違っているかしら?」

 ルルの瞳にぐっと力が入り、

「いえ、その通りです。イブキは全ての市民の安全を守る監視システムのシンボルとして開発していますから」

「あらあら、どうやら本気みたいね?」

周りを仰ぐように言ってカオルは、くすくす、と笑いを堪えた。

「何か……、問題が有りますか?」

「問題が有りますか、ですって?」

 にやついた顔をルルに向けながら、

「わからないようなら、これ以上何を言っても仕方がないわね」

そう言うと、カオルはぴたりと笑みを止め、

「せいぜい、幸せにイブキを造っているといいわ」

席を立った。

「カオルっ」

 私が呼び止めても、片手を上げるだけで、歩みを止めなかった。

彼女の退室がこの会議の解散の合図となり、ばらばらと席を立つ。

手元の原稿をまとめ、無表情にこの場を去るルルが、私の眼に焼きついて離れなかった。





実験開始三十分前、私は遠隔操縦室にいた。

「あらあら、よく似合ってるわよ。綾咲スミレさん」

 カオルは笑いをこらえるように口元に手を添えた。

「言っとくけど、イブキの操縦にはこういう格好が最適で、別に好きで着てるわけじゃないよ」

 体のラインがそのままでるようなパイロットスーツ。確かにコードを体に挿しやすいけどさ。

「わかっているわよ」

「……わかってない」

 カオルが遠隔操縦室の壁をいじると、寝台のような操縦席が引き出され、私をそこに寝かした。

「他のスタッフは?」

 機器を設置する彼女の背中に声をかける。

「上で見学会。イブキの動くところを直接見たいんですって」

「カオルは?」

「アタシまで行ってしまったら、誰がアナタの面倒を看るのよ?」

 スーツに次々とコードが挿しこまれていく。

「さっきの」

 私は小さな声で言う。

「何かしら?」

「……さっきの会議」

「どうかしたの」

 彼女はコードを見比べて、正しい位置にそれを挿していく。 

 私は再び小さな声を出す。

「ルルに何か問題が有った?」

「大有りじゃないの」

 私にすべてのコードを挿しこむと、彼女は視線をよこした。

吊り上げた目で、私を貫いた。

「まさか、アナタまで、イブキを正義のロボットか何かと勘違いなさっているのではないのでしょ?」

「兵器だって言いたいわけ?」

 彼女は満足げに、

「わかっているじゃない」

「でも、カオル。イブキは監視システムであって……」

「これは仕事なのよ? そういう戯言は大衆に向けてちょうだい」

彼女は私の言葉を遮ってそう言った。

「ゼネラルは、また兵器を造るの?」

「過去に有人陸上兵器開発パイロットとして働いていたアナタなら、こなせる仕事でしょ?」

 私は視線を逸らした。

「私達に兵器なんて、必要ないのに」

「詭弁よね」

「正論だよ」

「だとするならば、よく聞きなさい。アタシ達が安全に暮らすためにはね、綾咲スミレさん。全ての命を守る等と言う十分条件は介在せず、しかしながら、殺されても仕方の無い命は確かに存在するのよ」

私は自分の目が吊り上がるのを感じた。

「カオル、それは本気で言ってるの?」

「アナタこそ」

 彼女の冷たい視線を真っ向から受け、私は手を強く握った。

「そんなの違うでしょ。殺されて仕方の無い命なんてあるわけない」

「あるわよ」

「どうして」

 彼女は私を挑発するような笑みを浮かべた。

「アタシ達人間が、自然界から独立などしていない、純然たる生物だからよ」

 私は口を中途半端に開き、ゆっくりと閉じた。

「ね?」

 とカオルは言い、

「実験の成功を祈っているわ」

壁から引き出されている寝台を、その中へと滑り込ませた。



そこは、ただ静かで、“待機状態”の文字と、呼吸するように明滅する赤い光以外、中には何も映し出されてはいない。

私は棺桶のようなコックピットで眠るように、ただじっと待っていた。

『リサーチ〇一、聞こえるか?』

 地上から通信が入る。

「感度良好」

『今から画像データを送る』

赤色光が消し飛び、イブキの眼に映っている光景、だだっ広い、地上の実験場が私の眼前に広がった。

全天の突き抜ける青、その晴天を彩る海岸からの波音、傍らに聞こえてくるセミの声は蒸し暑さを伝えてきた。

私は計器類をチェックし、準備が整った事を伝える。

「イブキとのデータリンク正常。いつでもどうぞ」

『了解。これよりイブキ運転試験を開始する』

実験場に空襲警報さながらのサイレンが鳴り響いた。

私はイブキ本体から離れた操縦室内でただ寝そべっているだけにもかかわらず、知覚する情報は、どこまでも広く、本当に、自分がイブキになったかのような錯覚を覚える。

『イブキ起動』

怪獣の周囲にいるスタッフが赤い電光棒を振ると、イブキを寝かせているトレーラは彼を徐々に起き上がらせていく。

それに従い、前面の視界も青から、あの鉛色の街景色が遠くに見えた。

『全システム電源、外部設備電源から内部機体搭載電池へ切り替え完了』

トレーラはその荷台を、完全に立ち上がらせ、イブキを地に立たせた。

『全筋電回路解放』

『各部冷却終了』

イブキは死後硬直のように固めていた身体を和らげ、太い腕をだらりとだらしなく垂らす。私は、体に何かまとわり付いた、そんな重みを感じた。

『誘導制御系制動モードへ切り替え』

『安全装置切り離し』

イブキの身体を固定していた安全装置が次々と取り除かれていく。

『切り離し完了』

イブキとトレーラが接続されている部位は、首へと伸びる外部設備電源コードのみとなった。

自らの足で地に立っているものの、実験中転倒しないように、特殊車両から伸びる無数のワイヤで両肩を補助されている。まるで操り人形のようだ。

『全システム準備完了』

『メインエンジンスタート』

計測装置が跳ね上がった。

『イブキ、イグニッション』

電源コードがはずれ、トレーラから解放される。

 ゆっくりと顔をあげるイブキ。

『AIからパイロットへ操舵引継ぎ』

『ZMP誤差自動修正完了。軌道生成における各種パラメータ正常。マンマシンインタフェース作動正常』

 つまりはオールグリーン。

イブキは、私の身体の延長、私になった。

「こちらリサーチ〇一。歩行開始します」

『歩行了解。微弱電流発生確認。歩行、開始』

 彼の足が動いた。

 巨大な足が、地面を踏み締める。

歩いただけで、私は興奮した。

今迄の大型ロボットに比べて、随分軽いことが直感的にわかるほどに改良されている。足の接地面積も、それらに比べると、矮小化されていて、私が兵器を造っていた頃に再三指摘してきた、下過ぎる重心も高めに修正されている。

体の慣性モーメントを活かした挙動がより機敏になり、ロボットとして、さらに精度を高めていた。

イブキの体を左右に振る。

巨体に似合わず、その頭脳は瞬時に状態を感知し、私の判断に追随してくる。

尻尾を振り上げ、揺さぶり、バランスを制御しながら、私の思い通りの軌道を描く。

急激な方向転換も、急停止も、手を地面に着いたり、体を限界まで捻ったりして、しっかりと対応をしてきた。

イブキの両脇から支える特殊車両の方が遅れを取るほどだ。

装甲板を稼働させながら動く姿は、怪獣というよりも、特殊機動兵器のようだ。

私は、鼻で笑った。

予定された試験内容を消化し終えると、自由に動かして良い、との指示が出た。

「カオル、聞こえてる?」

 一度も声を出さない彼女を尋ねる。

『試験、お疲れ様ね』

「何か注文はある? 試しておきたい動作があるなら」

『もう充分よ』

「本当に?」

『それよりも、是非、現場の声を聞かせて欲しいわね』

 私は、イブキの手を握り締め、感覚を再び実感する。イメージ通りに機能する操作性。

「正直な機体だね」

『それは、兵器として有効かしら?』

 私はルルがこの通信を聞いているか、急に不安になった。

『どうなのかしら?』

 彼女に、聞かれたくないと思った。

「……今まで通り、暴動鎮圧用としては、勿論として、イブキは、それ以上の性能を秘めてると思う。可能性の話だけれど、軍事兵器としても通じるかもしれない」

 けれど、これほどの機体を動かせる喜びが勝ってしまって、私は、答えたんだ。

『そう。大変、参考になるわ』

「でも、聞いて! イブキは大別すればロボット。ロボットは人を傷つけてはいけないという原則、カオルも入社時に習ったはずだよ」

『なにかしら、突然?』

カオルの代わりに、音声デジタルメータが上下する。

「だから。だからさ、イブキは兵器でないことを望まれるんだ」

『何、とんちんかんな事を言っているのよ?』

 あぁ、もう。

「つまりさ、ロボットは兵器にしちゃいけないんだ!」

『何年前の話をしているのよ。今は二〇四〇年よ? 戦場での人的損失を防ぐ目的でロボットが利用されることは原則にたがわないとされ、人間の兵士に代わって偵察や殺戮を行う無人機が横行する現代。原則が形骸化しているというのに、イブキがロボットだから、なんて、今更誰も咎めないわよ』

「でも、二足歩行のロボットが兵器になった前例はないんだ」

『それは、おめでとう。綾咲スミレさん。未曾有の兵器のテストパイロット。兵器を造ってきた人間として、これほどの栄誉はないのではなくて?』

イブキが見ている景色に、ルルの姿が映った。





全部聞かれた。





コックピットから出ると、操縦室いっぱいに技術スタッフが拍手で出迎えてくれた。ルルは、いなかった。

「実験の成功、まずはおめでとう」 

 カオルが一番に声をかけた。

「……ありがとう」

「これから、忙しくなるわね」

「……そうだね」

 嫌われたんだろうな。きっと。

「嬉しそうじゃないわね?」

「ううん……そんな事ないよ」

 そう言ってから、笑みを作ってカオルに見せる。

 スーツからコードが抜かれていく。カオルの他にもコードを抜くのを手伝ってくれる人間がいて、とても早く済んだ。

「ルルは?」

 カオルに尋ねる。

「彼女がここにいないのなら、アタシは知らないわよ」

「……そう」

 今にして思うけれど、大勢にこの姿を見られるのはかなり緊張する。実験前、ここに誰も来なかったのは、カオルなりの配慮だったのかもしれない。

私はカオルと目が合った。

「早く着替えてらっしゃい」

「うん。そうする」





空の色も赤く染まり、たそがれに高く鋭いヒグラシの声が響く。

イブキはスタッフによって、トレーラに積み込まれており、撤収作業はほぼ完了していた。

寒いほどに冷えた更衣室。

「スミレさん、いいですか?」

 私は心臓が跳ね上がった。

「ルル?」

扉は静かに開き、音を立てずに閉まった。

「お疲れ様です」

ルルだ。

「……うん」

蛍光灯が真っ白な更衣室を煌々と照らし、私に隠れる場所を与えないようにしていた。

着替えがとうに終わっている私は、ここに居る理由も無く、ルルもまた、ここに居る理由も無いのだけれど、二人とも、黙って、私は長椅子の前で立ち、ルルも扉の前でただ立っている。

痛いほどに握り締めた手を見詰めながら、私はただ、じっと、息を潜めていた。ただ普通に呼吸する事も、その息遣いが彼女にとってわずらわしいものになってしまっているのでは無いかと、そう思ったからだ。

「スミレさん」

ルルは、そこで言葉を区切り、それから、

「スミレさんは、兵器を造る人なんですか?」

 私は、昔は、との言葉が喉まで出かかったけれど、

「うん」

 それだけ言って、止めた。

「最初から、イブキが兵器であることを知っていたんですか?」

 全く知らないわけではなかった。だから、

「うん」

 そう答えた。

「私達の技術を、人を殺すことに利用するってわかってたんですか?」

「……うん」

 私は、深呼吸した。

「たぶん、全部ルルが思ってる通りだよ」

 何もかも話そう。

「私が今日まで、ルルに嘘を吐いてきたってこともそう。イブキは兵器だってことも、私が兵器を造る人間だってことも、やっぱりゼネラルは京都重工を良いように利用しているってことも、全部ね」

 彼女はずっと地面を見つめて口を開こうとしなかった。

「嘘を吐くのは悪いことだってわかってた。けど、ただ嘘を吐いたわけじゃないんだ。仲良くなりたかったんだ。南の人と」

「随分、身勝手ですね」

「身勝手さ。誰かと仲良くなりたい事に、いちいち相手の了解を得るなんて、私はしたことないからね。一方的に、勝手に仲良くなりたいって思ったんだ」

 もう、最低だね。

「私に、一言あってもいいんじゃないですか」

 ルルは地面に向かって言った。

「嘘吐いたことは謝るさ。けど、この身勝手な言い分だけは、謝る気はないね!」

 平手の一発も覚悟していた。

「……ごめんなさい」

 とルルは言った。

「何で、ルルが謝るのさ……?」

 頭を深々と下げ、顔を上げない。

「私はずっとスミレさんを騙していました」

 少し、声が震えている。

「私も、イブキが兵器である事を知っていました。だから、スミレさんにはそのこと知られたくなくって、だから、嘘吐いて、だから、騙して……今だって」

彼女はゆっくりと私の前に歩み寄ってきた。

「これから聞くことに、嘘は吐かないでください」

 私は頷く。

「スミレさんは、私の友達ですか?」

「全部、ルルが思う通りだから」

「なら」

彼女の眼は少し赤かった。

「どうか、友達でいてください」

私は頷いた。

私の答えと、彼女のこぼした笑みが、どこまで本物か、わからなかったけれど、でも、これが、この言葉と笑みが、お互いに信頼関係を築いているという儀式になった事は、違えぬ事実だった。

でも、とにかく今は、そんな事にもすがりついて、ルルをそばに置いておきたかったんだ。











                                       第二章



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