第五章 フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン
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高度約三万六千キロ。

同軌道上、最終試験会場“ルナフェリー港”。



港は建造途中で至る所が鉄骨むき出しだ。

そんな図体だけはでかい、不恰好な港からは、気象衛星が捉える地球の絵と同じ光景が窓枠にある。ただテレビを通して見るそれとは迫力が違う。ガラス一枚を隔てただけの地球は青く、宇宙は冷たい。私の立っている場所は生命を謳歌するには余りにも向かない場所だ。

これから港に接舷している本物の月往還船に搭乗し、最終試験に臨む。

計五名で構成されたグループで八日日間、寝食を共にする試験だ。実際の月往復期間と照らし合わせてのことだろう。

グループはランダムに選ばれた、パイロット候補から二名。運行管理者候補から一名、搭乗科学技術者候補が一名。そして、搭乗運用技術者候補が一名。実技試験と同じだ。

私は番号に従い、自分の乗るべき船に搭乗する。

「やぁっ! これまた偶然だねぇ〜!」

…そこにハル・キューブリックがいた。

月往還船は複数のブロックに分かれた、電車のような船だ。これが、いずれ観光用になるとは思えない、外装も内装もただ質素な運搬作業船だ。

実際、キャビンというべきブロックは存在せず、明らかに作業目的として設計されている。ゲストは、荷物と変わらない扱いを受けることになるだろう。

試験開始のアナウンスと共に、八日間を刻むタイマーが作動し始めた。



試験一日目。



月往還船を港から切り離し、軌道を月軌道へと向かわせる。

パイロットであるハルは、その作業工程を難なくこなし、船体を安定させ、自動航行に移らせた。

ハルはパイロット用の座席からシートベルトを外し、無重力に任せ、ふわりと体を浮かび上がらせる。

「でも、ど〜せなら、本当に月へ行く試験にしてくれれば良かったのにね〜。つまんな〜いの。」

港から船を切り離し、月へ向かうというのは全て仮想上の話で、実際は先程から港に繋がったままだ。つまり、この試験は、八日間、港に接舷したまま行われる。

だが、そうは言っても、外は宇宙。ミスをしたら本当に命を落としかねない。そんな緊張感が前回より増している。

「おっ菓子〜な〜いのっかなぁ〜。」

と、ハル。

食事も船の管理も、すべてこの限られた空間、限られた材料で行わなければいけない。今回の試験は、トラブルが特別用意されているわけでもなく、とにかく、この閉鎖された空間で各個所定の作業を行い、八日日間無事に過ごすことだ。

「そういえば、」

ハルは携帯食料が敷き詰められている扉を開け、お菓子を探しながら、

「ここの港来るまで、空港で散々身体検査させられたんだよ〜。きっとテロの所為だよ。あれ〜。」

その武力で訴える過激派は私も知っていた。

「人間は宇宙に出るべきではなかったって、やつか…。」

と、私。

「そ〜そ〜。んなこと言ってもさ〜、も、出ちゃったって〜。いい迷惑だよ。あのテロ風情が〜っ。」

携帯食料群から何かを見つけたらしく、ハルは一つ袋を取り出した。

「あいつら、自分達の事をレジスタンスと言ってるらしいな。」

いつだったかに見たニュースを思い出しながら私は言った。

「呼び方なんて関係ないよ〜。テロだろうがレジスタンスだろうが、やってる事は人殺しなんだからさ〜。」

ハルが特殊乾燥させたフリーズドライの冷たくないストロベリーアイスをぱくりと食べるのを横目に私はニュースに出ていた評論家の受け売りをした。

「奴らが言いたいのは、宇宙は侵略によって占有された場所だってことだろ。それを解放するからレジスタンス。テロリストと呼ばれるのは気に食わないらしい。」

「ほほぉ〜う。そいつぁ〜、私達に対する挑戦状ですぜ〜? 平和的解決法があらんことを、ってね。」

ハルは天井に足をつけ、上下逆さでアイスを食いながら、流し目を向けていた。

「奴らは敵だ。どっちかがくたばるしかない。和平はありえない。」

「詩織ちゃん、怖いこと言うねぇ〜…。」

「あいつらは私達を殺す気でいるんだ。それぐらいが丁度いい。」

ハルはこの船の数少ない娯楽、テレビの電源を入れた。

『…です。この一連の動向には、テロ集団“宇宙解放連盟”との繋がりが示唆されており、…』

「あ、出てるよ〜。詩織ちゃん見ないの?」

テレビからは、宇宙解放連盟の単語が何度も出てきていた。それに倣い、ルナフェリーの単語も、同じ数だけ語られた。ルナフェリーの有用性なんて、詭弁で塗り固めなければ、多くの支持を得られない事をみんな気づき始めている。

そして、私達はその事に知らない振りをし続け、色んな方便をこんな風に語る。

今更、宇宙を切り離して、世の中が回るわけがない。無数の衛星が飛び交い、新たな技術が開発され、月に行けば新エネルギーすらも宇宙に頼ることになる。…なんてな。

ただ、私自身はこんな欺瞞に頼る必要は無かった。それは私が、月へ行く事を夢に持った人間だからだ。あいつら宇宙解放連盟に、私の夢を食い止めることなんて出来やしない。

誰にも止められない。

私にすら、もう、何故、月を目指しているのか、分らなくなっているのだから…。

私はテレビを無視し、自分の作業に戻った。



試験二日目。



「暇暇暇暇暇〜〜〜!」

ハルは二日目にして精神を崩した。閉鎖環境に長く居ることの出来ない奴は宇宙では生きていけない。宇宙で生きていく為には、科学の力に守られた、限られた空間で孤独と戦いながら過ごさなければならないからだ。広大かのように思える宇宙には人間の住む場所など、与えられていない。

「暇なら自分の仕事しとけ。」

背中に居る奴に顔も見ずに言い放つ。

「やったよ〜。だから暇何じゃん。」

知るか。

「あれ? どこ行くのぉ〜?」

私が船内の移動を始めたことに、ハルは疑問を持ったようだ。

「船外に出る。」

ハルは頭に電球を灯したような顔をして、

「私も!」

「却下だ。」







『やぁ〜、やっぱり外の空気は美味しいねぇ〜!』

宇宙服着て、何が外の空気だよ。

「おとなしくしてろ。そういう約束だろ。」

『了解です!』

敬礼。

ったく、こいつのガールスカウトなんて御免だ。

船外にて、船体のチェックを済ます。

船尾は港だが、船首を見れば、地球が鮮やかに視界に飛び込んでくる。

『絶景かな〜絶景かな〜!』

こんな何も無い空間で、唯一、色を放っている。太陽に照らされている部分は眩しいほど明るく、影の部分は、元から何も無かったかのように真っ暗だ。

『こ〜んないい景色なのに、なんで、宇宙に出ないほうがいい〜、なんて言うんだろうね〜?』

ハルは船の上で地球を眺めながら私の背中に視線を向けていた。

「宇宙解放連盟のことか?」

私は後ろを向かず、作業を続けながら聞き返した。

『そだよ。あの人ら、ここに来てもないのに文句ばぁ〜っか言ってさぁ。』

「ここに来れないから、文句を言ってるんだろ。」

今までがそうであったように、月資源もまた、宇宙開発先進国のものになる。彼らの国は何も変わらない。

『あ、そか。じゃ〜、ここに来たら文句言わなくなるわけだ!』

「…さぁな。やつらに聞いてみたらどうだ。」

『でも、隠れてるから、居場所わかんないよ〜…。』

居場所が分ったら、本当に聞きに行く気なのか?

『詩織ちゃんは、あの人らに会えるとしたら、何を聞く?』

私はしばらく考え、手が止まっていることに気づき、手を動かした。

「…何も。」

『な〜んにも聞かないの?』

彼女は両手いっぱい広げて、何にもという度合いを表現していた。

「あぁ。」

『そりゃまたど〜して?』

「いくら話したところで奴らと私は平行線のままだ。」

ハルは目を瞑り、体を無重力に預けた。

『だから敵になるのかな〜?』

私は、

「さあな…。」

なんて言葉しか返せなかった。



試験三日目。



「暇すぎて死にます。」

「…。」

相変わらずハルは暇だと言っては、私に構ってくれと言い寄ってくる。

「何で私なんだ。」

「他の人、忙しそうなんだもん。」

「私も忙しい。」

「今、何やってるの?」

「見て分らないのか。」

「う〜ん…ランニング?」

…。

「サボっちゃいなよ。」

ったく…。

私は足を止めた。

「宇宙で筋トレサボったらどうなるのか、お前だって知ってるだろ。」

「はい! 骨や筋肉が弱くなって〜、大変なことになると思います!」

「わかってんなら、邪魔するな。」

この試験内容には四時間の運動も規定に入っている。規定にあるからやってるんじゃない。そうしなければ、地球に戻れない体になるからだ。

地球に帰れなくなっても構わないというわけにはいかない。なぜなら、長期滞在が可能な環境が宇宙には無いからだ。

結局のところ、人間は地球を離れて生活出来るようにはなっていない。これが今の現実だ。少なくとも、まだ生きることに未練がある奴にはな。

「ねぇねぇ。」

「今度は何だ…。」

「どーして、詩織ちゃんは、この船に志願したの?」

「それは…。」

…。

私が口を開きかけた時、

「私はねぇ〜!」

聞け。

「月のカニに会いたいんだよ!」

「蟹?」

「えぇ〜、詩織ちゃん知らないの〜?」

何でこいつはこう人を苛立たせるのが上手いのだろう。そう考えていた時、

「あ、そっか。私の国ではね、カニなんだ。月の海の事だよ。ニッポンではなんて言うの?」

あぁ。

「兎に見えるって言うな。」

「ウサギ〜? 変なの〜! あはっ、あはははは!」

そんなにか?

顎が外れるんじゃないかと思えるほど笑っているハルに私は問う。

「月の海に行く事が…お前の夢なのか?」

彼女は、

「違うよ。」

と、あっけらかんと言った。

「…なら、どうしてルナフェリーの試験を受けてる? …月へ行くのが夢だからじゃないのか。」

「月は行った事無いから、行ってみたいだけ。」

「…それだけ、なのか。」

「だって、ただ見上げてるだけじゃ意味無いもん!」

ハルは目を見開き、

「あ! テレビ始まっちゃうっ! ふんふふふんふ〜。」

と、最近はまっているらしい、アニメの主題歌を口ずさみながら、テレビのあるブロックへと体を吸い込ませていった。

私は、再び走り出した。



試験四日目。



試験上、私達は月へ着いた事になった。月往還船を月の港へ停泊させ、燃料の補給を行っている。あくまで想定だが。

「ほんとだったら、降りて月の散歩したかったのにねぇ〜!」

「…。」

月へ行った事が無いから行ってみたいだけ。こいつはそう言った。でも、夢じゃない。じゃあ、こいつのその思いは何だ。単なる探究心か。欲求か。夢と違うのか…、それって…。

「詩織ちゃ〜〜〜ん。」

顔が近い。離れろ。

「ぼ〜っとして。何考えてたの?」

「…別に、何も。」

「あっやしぃ〜なぁ〜!」

ハルは、くししっと笑った。

「なぁ。」

「なんじゃらほい!」

…急にこいつにこんな事聞くのが馬鹿馬鹿しくなる。

「夢ってなんだと思う?」

「へ? 夢ぇ?」

ハルは考えてるのか考えてないのか、わざとらしく、う〜んと唸り、腕を組みながら頭を捻っていた。

「はい!」

右手を大きく振り上げ、

「昨日の夢は今日の希望であり、明日の現実である。」

「…ゴダードか。」

「正解〜!」

今日の希望で、明日の現実か…。途方も無く漠然としていて、曖昧で抽象的だ。

「ゴダードってのはねぇ〜。」

誰も聞いていないのに、こいつは得意げに、人差し指を立てながら、

「世界で始めて液体燃料ロケットを作った人なんだよ〜。すっごいよね〜! この人の第一号ロケットの飛行記録知ってる?」

「さぁな。」

「高さ一二メートル、距離五六メートル、飛行時間、二秒半!」

ハルはぷっと口から息を漏らし、あははははっとあの笑い声を高らかに出した。失礼な奴だ。

「それがどうかしたのか?」

「夢の話の続きだよ。だからさ、」

そう言ってハルはくるりと体を翻した。

「月旅行なんてとんでもない夢をもっちゃったおっさんがさ〜、その実現のために造ったロケットが、たったそんなもんしか飛ばなかった。失望、絶望、涙で前も見えない!」

何、力説してんだ?

「私だったら、や〜めたっで終わらせてたと思うんだけどな〜。ゴダードっておっさんはそれからもず〜っと研究したんだよねぇ。結局、宇宙まで飛ぶロケットは造れなかったみたいだけど。」

「…それが?」

ハルは、私をまっすぐ見詰めながら、

「そゆのが、夢ってやつなんじゃないのかな?」

…。

「お前の言ってる事はわかりにくい。」

「えぇ〜。分りやすいと思うけど?」

私は彼女から逃げるように、船内を移動した。

わかんねェんだよ。自分の一生掛けても実現できなかった夢。そんなもんが希望になってたってのが…。

夢は叶わなければ意味が無いんじゃないのか…。なんで、叶わなかったのに、ゴダードはそれを希望だなんて言えたんだ。じゃあ、私は何の為に、夢を叶えようとしてるんだよ…。



試験五日目。



「後三日〜で、帰れっるよ〜!」

ハルは家に帰れることに上機嫌だった。

「地球についたら〜なにしよっかなぁ〜! なにしよっかなぁ〜! まずは地球見だよねぇ〜! そんでぇ〜、月をバックにお茶をのんで、ゆっくり送迎バスを待つ…。あといくつ寝たら港につくのかなぁ!」

独り言にしては声がでかい。ま、こいつとも後三日か。そう思えば我慢出来なくも無い。

「詩織ちゃん、な〜にしてんの!」

「…。」

深い溜め息を吐く。

「いちいち何してるのか説明しないとわからないのか? お前は。」

私の肩に縋りつき、足をはためかせている。

「ん〜…それ、楽しい?」

「…楽しそうに見えるのか?」

ハルは私の手元をじっと見詰めた。

「…たのしそ〜。」

ったく…。

「船体の状況把握作業がそんなに楽しそうに見えるか? 見えるのか? お前には?」

頭に疑問符を浮かべやがった。

「…もういい。どっか行って静かにしてろ。」

「それじゃつまんない〜。遊ぼうよ〜。外出ようよ〜。」

「今日、出る予定は無い。」

「え〜〜〜〜。飽きた飽きた飽〜き〜た〜!」

手足をばたつかせ、見た目の歳相応の動作をする。こいつ、本当に何歳だ。とにかく、幼い事だけは良く分る。

私は適当な理由をつけて、

「…みだりに外へ出ると、デブリに顔を潰されるぞ。」

と、外へ出る危険性をでっち上げた。

ハルはサッと顔に青みが走った。

「また…冗談ばっか〜」

覇気が無い。

顔面蒼白。

怖がってるのか?

「最近はデブリも増えてるからな。こんなところにも沸いて出て来るんだ。ヘルメットを割られた日には、体内の水分が蒸発して、人間フリーズドライの出来上がりだ。宇宙だからそのまま腐りもせず、永遠に漂う事になるな。」

顔が真っ青になっていた。

「…嘘。」

「本当。」

「でもでも、デブリを処理してる業者があるじゃん!」

必死だな。

「そうは言っても、増加傾向にあるんだよ。このままじゃケスラー・シンドローム現象が引き起こるのも時間の問題だ。」

「…けすら?」

「宇宙空間にごみが増えすぎると、互いにぶつかり合って、一気に数を増やしちまう現象のことだよ。」

「そんなことになったら、外出れなくなるよぉ!」

ハルは念仏を唱え始め、冷えた両手を暖めるかのように自らの神に祈りを捧げていた。何人いるんだ? お前の神様は。

「詩織ちゃんも早く祈って!」

「何を?」

「ごみが減りますように、だよ!」

当然でしょうが。と目で訴えてきた。

「祈ったところで、何も変わらない。」

「もしかしたら、何か叶うかもしれないよ!」

私はそんな彼女の安直な考え方が妙に癇に障った。

「…ドラマや映画なら、あるいは願いが届くかもしれない。けど、現実は違う。思い通りの筋書きや起承転結、結末なんてものは用意されていない。ましてや、神様が私達に何かしてくれるはずもない。私達が住んでいる世界は、自分の望みや夢は死ぬ気で追いかけなければ何も叶わないんだ。」

あやふやで、曖昧な霞がかった毎日。たとえどれほどの心血を注ごうとも、夢が叶う保障はどこにも無く、いつまでも夢の途中で吠え続けている事くらいしか出来ない毎日。

「わかるだろ。祈ったところで、何も叶わないんだ。」

ハルは指を顎に引っ掛けながら、しばらく黙ったが、

「叶わないとしても、祈る行為に意味があるんだよ。」

と、すぐに笑顔を携え、彼女は言った。

「結果が伴わない、そんな意味の無いことになんの意味があるんだよ。」

「意味が無いがある。」

してやったりの顔をするな。何も上手いこと言ってない。

「う〜ん、やる事成す事に意味がないと駄目かな〜?」

「…そういう事じゃない。」

私が言いたい事は…。

「祈りとか希望とか、そんなあやふやなものに頼ったところで、裏切られるだけだ。だったら最初からそんな物に頼る必要は無い。」

彼女は小首をかしげ、

「神様は何も裏切ったりしないよ。」

嘘だ。

「現実ってのは私を裏切るためにあるようなもんだ。」

「じゃあ、家族とか、友達!」

またお前か。天宮。

「私は誰にも頼らない。」



試験六日目。



「まだかな、まだかな〜! あと二日〜!」

試験開始時に作動しはじめたタイマーを眺めては目を離し、目を離しては眺めている。

「詩織ちゃん、相対性理論の逸話知ってる?」

光速を利用して時間をどうにかしようとか考えてるのか、こいつは。

「知らない。」

私がいくら言葉を切ろうが、こいつは何を言っても、自分が喋りたい事は喋り出す。

「かわいい女の子と一緒に居ると一時間を一分のように感じられる。けど、熱い鉄板の上に乗ると一分が一時間より長く感じる。これが相対性というものだ。」

確か、相対性理論を考えたアインシュタイン本人がそう言ったとかだったか。

「たんなる比喩だろ。実際のそれとは意味合いが大きく異なるんじゃないのか。」

「そうかもしれないけど、そうじゃないかもしれないよ〜!」

逆説的な言辞を用いたところで何の意味も成さないぞ。

「つまり!」

ハルは大音声を上げた。

「つまり?」

「詩織ちゃんが遊んでくれればいいんだよ!」



無視をした。



「で〜も、昨日のケスラー現象の話は怖かったよぉ〜! 昨日初めて、宇宙って怖いとこだって思ったね〜!」

無視をしても横で延々独り言を喋っているハルを黙らせるため、私はテレビのスイッチを入れた。

「でも、人間って、どんなに怖くっても、お腹は減るし、呑気に寝ちゃうんもんだね〜!」

こいつはテロ被害のニュースを眺めながら、そう言った。

「何があっても、結局、自分だけなんだよ。人間なんてさ。」

「ふぇ?」

彼女は口をぽかんと開けた。

「他人なんて関係ないんだ。自分だけなんだよ。」

ハルは屈託の無い笑顔を作り、

「そんなに思い詰めるようなことかなぁ〜?」

「…話すんじゃなかった。」

孤独を感じた人間にしかわかんねぇんだ。

「あ、何それ〜。さては、詩織ちゃん。私をなめとるな? 人間、他人無しには生きられません、だよ?」

私は彼女をしばら見据えた。

「…じゃあ、聞くが。」

私はテレビを指して、

「このテロで死んでいった人間を目の前にして、呑気に生きている人間はどうなんだ。他人に無関心。それって、他人なんて必要ないって事だろ。」

「死んだ人のその横で、無関心に呑気に生きているから、他人なんて必要ないって事にはならないんじゃないのかなぁ?」

「人が独り死んだところで何も変わらない。誰も誰かと干渉しあったりしてないって事だろ。それって。」

「そうかなぁ? もしだよ? 詩織ちゃんが死んじゃったら、私泣くだろうし、すっごく悲しくなるよ。」

…クソ。

「まさか、人と人とは繋がってる。なんて言うんじゃないだろうな。」

「そだよ?」

「…馬鹿馬鹿しい。」

天宮みたいな事、言いやがって。

「なんでぇ〜? だって、この世で私に関係ない人間なんて一人もいないも〜ん。」

「ざけんな。」

「ふざけてないよ〜。本当にそう思うんだもん。他人との繋がりは大切だよ? 詩織ちゃんも人間なんだからわかるっしょ?」

「繋がりなんて必要ねェ。」

私は独りで生きるんだ…。

「でもさぁ〜、誰も居ない世界じゃ生きていけないんじゃない?」

「…そうやって、繋がりばっかり求めて、自分が本当に何を求めてるかも分らなくって、ただ生きているだけじゃ意味無いだろ…。」

「でも一人で生きていくのには限界があるんじゃないのかな〜?」

私は、私の今を否定されたような気持ちになった。だから、声を張り上げた。

「限界なんて、絶対にねェ!」

「どしたの…急に怒って…怖いよ。」

「ただ生きるだけならゾウリムシにも出来らぁ! 適当に食って、適当に寝て! 人と繋がることに必死になって、そんなくだらねェ毎日に意味なんてあるのかよ!」

「…下らなくなんてないよ。」

「どうしてだよ! くそったれな今日を生きていけるのは、明日に期待するからだろ! 明日を期待できるのは自分の夢や願望を追い続けているからだろ! 周りに合わせて諂い顔作ったり、ただ生きてるだけなら、それは死んでいないだけの生だ! だったら、独りで生きるべきだろ! だったら、他人が入り込む余地は無いはずだろ!」

「神様は人を一人で生かしてなんかくれないんだよ…。絶対に繋がりが出来ちゃうって言うかさ…。だから、無理して孤独になる必要も、自分は孤独だと悲観する必要も無いって思っただけだよ…。もう、やめよう。この話…。怖いよ。詩織ちゃん。」

私はひたすら強く唇を噛み締め、口の中を血の味で満たした。



試験七日目。



明日には試験が終わる。

これに受からなければ、私の月へ行くという夢は断たれる。そんな事を意識し始める。けど、何も感情は生まれてこない。何が何でも受かってやろうという、あの感情が湧いて来ないんだ。

「詩織ちゃん!」

「なんだ…。」

ハルは重苦しい声を出し始めた。

「こわ〜い話の〜、はじまり〜。」

駄目だ、それ全然怖くない。

私の思いを無視し、ハルは語り出した。

「それは、月へ向かう船の出来事でした…。」

「…。」

わざわざ懐中電灯で顔を下から照らしている。

「光学式光ファイバジャイロスコープが正常に働かなくなりました…。乗組員は原因究明に急いだ。しかし、どこにも物理的異常は見受けられなかった。残る原因はサニャック効果に異変があるという事。でもそれはおかしい。角速度と位相シフトの関係をリング干渉計で…」

こいつの価値観というものに興味を覚える。

「どうどう! 怖かった? ぶるぶる?」

彼女は私の顔を必死な奮戦顔で覗き込んできた。その威圧に負け、「あぁ。」とか「おぉ。」とかいう呻き声に近い返事を肯定と受け取ったハルは、

「やったー!」

と両手を挙げて小躍りをし始めた。

「でも、詩織ちゃん、安心して!」

えへんと咳払いを一つ。

「この船はリングレーザジャイロだから!」

アホだ。こいつ。

私は過去に学んだEVA経験を頭の中で粗捜しした。

「…太陽風ってあるだろ。」

「オーロラの発生原因の一つって言われてるやつだっけ?」

「あれが太陽から放射された時、船外活動をしてると、超高速粒子が神経を焼き切り、細胞を破壊する。」

「…嘘。」

「本当。」

大声で「あーっ!」と言いながら彼女は小さくて形の良い耳を塞いだ。

こいつなりに、昨日の蟠りを気にしてるのか、単純に頭がお花畑なのか。どちらを理由にしろ、これを切っ掛けにハルと喋らない時間に終わりを告げることになった。



試験八日目。



宇宙は人間なんかが生きていく場所じゃない。それは分ってる。EVAをしていると、宇宙はまるで、私達を追い出そうとしているかのようにも思える時がある。

真空、絶対零度、無重力。月での被爆量は地球の百倍を超える。そのどれもが人間には適さないものだ。まるで、「帰れ」と宇宙から言われているようだ。

私は宇宙にしてみれば要らない存在なのだろう。

ここは人間の住む世界じゃない…。



「さぁ〜! 今日がラストだよ! みんな気合入れて!」

今まで一番やる気の無かったパイロット候補生が、今日は一番やる気がある。迷惑な奴だ。

「ようやく家に帰れるよ〜。この日をどんだけ待ち望んだことか…。思えば八日間、長かったぁ〜…。うんうん。」

確か、こいつは試験開始二日目くらいから家に帰りたがってたな。

「みんな! これが終われば家に帰れるからねぇ〜! 頑張ろ〜!」





当然のごとく、開始三十分ほどで、こいつの集中力は切れた。

「帰る。」

「…。」

私の背中を引っ張る。

「…お前、自分の仕事は?」

「後は着陸の時だけ〜。も、帰る。」

やるべき事は終わってるって事か…。

「暇ならテレビでも見てろ。」

「テレビつまんない。帰りたい。」

「アニメばっかりじゃなくて、たまにはニュース見たらどうだ。毎日違う事言って面白いんじゃないのか。」

「ニュースのほうが毎日同じ事の繰り返しだよ〜! 同じ顔の人が同じ事ば〜っかり言ってさぁ! たまには起承転結のあるニュースをやってみろってんでぃ! さて、私は帰ります。」

テレビを付ける。

するとハルは、食い入るように画面に見入る。

しばらくこれでおとなしくなるだろう。

そう思って、私がここから離れようとした時、テレビが機嫌を損ねた。

砂嵐。

私はその異変に後ろ髪を引かれた。



『宇宙を侵略する諸君。このメッセージは君らに送るものだ。』

砂嵐が喋り出した。

明らかに異常事態だ。

『宇宙には一千億個以上の銀河が存在している。地球は、その中の一つの銀河にある、二千億個の星の一つに過ぎない。だが、その地球という惑星に巣くう一部の人類は、自分の星を食いつぶすだけでは飽き足らなかった。』

どうやらこの映像は全世界に向けて発信されているらしい。どのチャンネルを回しても、こいつの声と砂嵐だ。

『彼らは、石油に代わる新エネルギーが開発されたにも関らず、自らの利権の保持に走り、太陽光発電や風力発電に有りもしない懐疑論をかざし、自国の代替エネルギーに固執し、奪い合った。天然ガス、ウラン、海底メタン。そして、月だ。』

いつの間にか、乗組員全員でテレビを見ていた。

『彼ら一部の先進国は月のヘリウム3を手に入れ、エネルギー問題を解決しようとしている。だが、どうだ。その行為は、有限なエネルギーの上に文明を築き、破壊しつつ広がってゆく、ウィルスそのものだ。彼らは前世紀の過ちを何ら学ばなかった。代替エネルギーを求め、大いなる宇宙が犠牲となってゆく。生命体がいないから。森も海も空も無いから。そんな姿勢なら、いずれ地球も滅ぶ。我々、宇宙解放連盟は、声なき星々の代弁者だ。そして、今日。人類は宇宙から独り立ちをする日と成る。』

すると、警報。

『人類は宇宙に出るべきではなかった。空よりの高みは、人類に必要ない。』

船内に警報が鳴り響いていた。

『一つの衛星とルナフェリーを用い、空と宇宙に確固たる境界線を引く。』

私が理解するには最後の言葉だけで十分だった。

「ハル、港から離れるぞ!」

「え、でも、今日家に帰れるって話じゃ…」

「異常事態にそんな事言ってられるか!」

他の船が次々と離床して行く。

その光景を目の当たりにしたハルが、

「なになに! どしたの!」

「船を出して少しでも港の質量を減らすんだ!」

「なんでそんな事してるの?」

「今の放送を聞いただろ! ここに衛星が突っ込んで来る!」

「…嘘。」

ハルは船に搭載されている航行用レーダを確認し、国籍不明衛星を捉える。

「詩織ちゃん、本当に衛星がこっちに来てるよ!」

「やつらの狙いは、おそらくケスラー・シンドロームをこのルナフェリーを使って引き起こすつもりだ。」

ここにいる全員の顔に緊張が走る。

「いくら軽くしたところで港の軌道変更は間に合わないね。衛星との相対速度が逆行で速すぎるもん。」

ハルはレーダを確認しながら、冷静な判断を下した。ルナフェリーはその質量から、軌道変更には時間がかかる。いくら船を離床させたところで、気休めにもならないか。

「これ、港が壊れたら、今日、家に帰れない?」

パイロット用のシートに座りながら、彼女は聞いてきた。

「そうなれば、デブリが地球を覆い、人類は二度と宇宙に出ることが出来なくなる。人類は、宇宙と断絶する。」

ハルは肩をふるふる震わせていた。

「…詩織ちゃん…。」

ハルの様子がおかしい。

「これ以上…私、家に帰れないとさぁ…。」

二言三言ぶつぶつと彼女は唱え、彼女の声とは思えないほど低い声でぼそりと呟いた。

「キレちゃうよ…!」

次の瞬間、船体は一気に加速した。

シートベルトをつけていない乗組員は後ろに飛ばされ、EVAのなれてない人間はそのまま壁にぶつかった。

「ハル!」

私は壁に足を付け、操縦席に座っている彼女の名を呼ぶ。

「あっはっは〜! 大丈夫だよ、詩織ちゃん! ようはあいつらの衛星が港にあたんなきゃいいんだよねぇ〜!」

瞳孔が開ききってる。完全にイってる。

「待て! 何する!」

「簡単だよ〜! テロ衛星にこの船当てて、軌道を変更させればいいんだよ! 初歩的な力学だよ〜!」

姿勢制御スラスターを細かく吹かし、衛星との交差軌道を取った。

「待て、ハル! 船体の強度が」

加速に揺られ、船体はガタガタと音を立てている。

「大丈夫〜! 上手くあてるからさぁあ〜! そんで早く家に帰ろ〜! 詩織ちゃんも家に帰りたいよねー!」

限界まで唇を引き伸ばし、

「なにが、宇宙に出るべきじゃなかっただ〜?」

スラスターを人間技とは思えないスピードで吹かしては止め、軌道変更していく。

「もうここは人間の世界だ!」

航行データで見る限り、接触まで後数秒。私は目を瞑る事しか出来なかった。

「あてる!」

ハルが言った次の瞬間、船体は激しい揺れと錐揉みが始まった。

「あっはっは〜! ビンゴ〜!」

確か、そんな事を言いながら、船体を安定させていた。この馬鹿は…。







ルナフェリーの港へ下半部が消えた船を停泊させる。

「結果的にお前のやった事は立派な事だ…。だがなぁ…」

私のいらいらをよそに、ハルはにこにこと笑っていた。

「詩織ちゃん!」

彼女は片目を瞑り、親指を立てた。

「結果オーライ!」

「…。」

私は頭を抱えるしか出来なかった。



試験は終了した。結果は後日送るとだけ伝えられ、私達は地球に帰った。

地球に帰ると、テロの顛末、ハルの行動等がひっきりなしに報道されていた。

それから毎日と言っていいほど、ハルの帰国時のインタビュー映像が流れ続けた。



私はまたあのホテルに帰った。



ホテルに帰っても、やる事が無かった。試験が終われば、私はただの無職の人間だ。何もやる事が無かった。



そんな中で、自分達をレジスタンスと言っていた宇宙解放連盟の言葉を思い出した。

空と宇宙の境界線。空よりの高みは人類に必要ない。奴らの言葉は、いちいちもっともだった。あいつらを敵と決め付けられなくなっていた。

忘れていた事を、忘れようとしていた事をあいつらは饒舌に語った。

宇宙開拓の意味。宇宙開発の在り方。私の存在意義。

私は自分の夢が分らなくなった。夢が見れない。夢がない。

「月の空を見たい。」

私は他人を踏み台にしようとも、自分の夢を掴むためなら、それを厭わない覚悟でやってきたつもりだ。けど、それは口先だけの決意で、現実を見ていなかった。テロが目の前で起きて、初めて実感したんだ。知らなかったんだ。知ろうとしなかったんだよ。知ったらこうなるって感じてたから。だから、知らない振りして、知ろうとしなかったんだ。

だから、私は、知ったから。宇宙開発の犠牲者を本当に蹴落とす覚悟が出来たんだ。そして、私は夢の完成のみをただ追い求めればいい。宇宙に魅入られた人間はそうしてきた。

なんだよ、それ。

そう思えって事なのか…。そう思わなくちゃいけないのか…。そう思えって事なんだろ…。

ふざけるな!

そんな理由で、その為に、多くの犠牲を出さなければいけないのか。

夢って何だ…。理由は何だ…。

そんなことばかりをただ、永遠と考え続けた。

疲れて眠りが来るその時まで、ずっと、ずっと考えていた。











                                       第六章



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