第三章 フォボス






「地球は人類の揺り籠だが、我々が永遠に揺り籠に留まることは無いであろう。」

『詩織さん。なんですか、それ?』

仕事帰り、ライカから地球を眼下に見下ろし、私は霞と交信をしていた。

「ロシアの大先輩が言った言葉だよ。」

『大先輩? 知り合いの方ですか?』

私は溜め息を漏らした。

「霞…お前、宇宙パイロットだってのに、なんも知らないんだな?」

『〜…だって知らないんですもん。』

「今のは、ツィオルコフスキーが残した言葉だよ。」

『チオルコフスキー、ですか?』

「ロケットも何も無い時代、人間は宇宙に行けるって本気で考えた、ロシアのロケット理論学者だよ。」

『すごい人なんですか?』

いまいち、理解してないな。お前は。

「このおっさんはな、マッハ三〇で飛ぶ乗り物で月へ行こうとした宇宙旅行の父と呼ばれる偉人だよ。けど、当時はそんなのただの夢物語だったから、周りからは笑い者にされたんだ。でも、ツィオルコフスキーは笑われようが、非難されようが、独学で宇宙飛行の理論を研究して、終には世界初のロケット理論を発表した。自分の信じた事を誰にも媚びず、独りで貫き通したんだ。」

霞の奴、へぇ〜なんて言ってるが、ホントにわかってんのか? このおっさんのすごさ。今の時代に飛んでいるロケットはみんな二〇世紀初頭に考えられたツィオルコフスキーのアイディアに沿ったものなんだ。それどころか、宇宙ステーションまで構想していたっていう。実際ロケットを造ったことのないこのおっさんが“宇宙旅行の父”といわれるのはそういうわけなんだ。

『それで、詩織さん。さっきの話、本気なんですか?』

霞は自分のライカに地球の降下体制をとらせながら、聞き返してきた。

「その引き合いに今の名言を言ったんだろ。本気も本気だ。」

『でも、それって転職するってことですよね? ルナフェリーの完成まで、まだ二年もあるのに。』

「ルナフェリー専属EVA要員の募集は来年から始まるんだ。これを逃したら、次いつ募集がかかるか分らないしな。」

時は変わらず、所変わって、地上。夜の駐機場。

「それで、応募資格に足りない船外活動経験時間を稼ぐため、今日も仕事をまわしてもらってまで、空に上がってるってことですか。」

「まぁ、そんなとこだ。別に付き合うことなんて無いぞ。私は私のためにやってんだから。」

先輩に私が勝手に増やした仕事で飛んでもらうなんてことはお天道様が例え許してもこの私が許さない。そんなわけで、単独飛行でバックアップ無しに出来る仕事を回してもらっていた。主に簡単な衛星点検だ。しばらく独りでやっていたが、霞の奴がどこからかぎつけたのか、先週辺りから一緒に飛んでいる。本人は「自分の訓練も兼ねているんで気にしないでください。」なんて言ってるけど、こいつの真意はわからん。

「美羽さんには転職の話、したんですか?」

「いや。先輩にはまだだ。」

というか、霞。お前、いつから先輩を下の名前で呼ぶようになった。

「美羽さんのほうから、詩織ちゃんばっかりじゃなくて、私も美羽って呼んで。ってせっつかれたんです。」

先輩…。

「そういえば詩織さん、美羽さんだけは呼び捨てにしないで先輩って言うんですよね。課長補佐ですら呼び捨てにしてるのに。」

あの宴会おやじと先輩を同列に語るな。

同時刻。場所、会社正面玄関。現在、帰宅中。

「なにか理由でもあるんですか?」

「別に、理由って程の理由じゃないが、私が新米だった頃、先輩ともう一人、頭ぶっ飛んだ人がいて、『俺は星埜朱音。朱音様と呼べ。こいつは、まぁ、なんでもいいや。先輩とか言っとけ。』って第一声を喰らって以来そのまんまってだけだ。」

霞はあははっと大きく口を開きながら笑った。

「じゃあ、詩織さんはその人の事、今もあかね様って呼んでるんですか?」

「いや、さすがにそれは無いな。結局、名前をもじってあか姉って呼んでた。」

サイドテールを揺らしながら、私の隣を歩いている霞はあごに手を当て、

「あかねさんって方はEVA要員だったんですか?」

「あぁ。私達と同じMSの資格持ち。あか姉にはこの仕事の良いところも悪いところも色々教えてもらって、私の先生みたいな感じだな。」

彼女はふぅ〜んといって私の顔を覗いてきた。

「それじゃあ、詩織さんが私の“先生”ですね。」

なっ…。

「馬鹿! 先生ってのは、もっと偉い人の事をいうんだよ…!」

先輩とか、あか姉とか。

私がそっぽを向き、少し早足で人気の無くなった夜の街路樹を歩き出すと、霞はにこにこしながら私の後をくっついて歩いてくる。

「そのあか姉って方、今はどうしてるんですか?」

「霞が来る一年前に整備課に異動した。」

「何かあったんですか?」

何かあったかな。夜空に目を移し、シリウスの輝きを見つめながら、一昨年の出来事を走馬灯の如く思い出す。

「いや…突然、異動したんだ。」

そういえば、理由も聞かなかったな。

ミッションスペシャリストの資格を持っている人間はパイロットと整備の両方をこなせる人間だ。だから、航宙課から整備課に異動しても仕事はこなせるだろう。ただ、MSの資格を取った人間はその仕事に誇りを持っているし、人手不足のこの仕事は、そう簡単に異動命令なんて出やしない。きっと、何かあったんだと思う。他人には話せないようななにかがさ。



休日明けの朝。航宙課。

「朱音ちゃんの異動理由?」

先輩に聞いてみることにした。二人は同期入社で仲もいいから、きっと知っているだろうと私は踏んだわけだ。

「ん〜…なんだったかしら…。そういえばちゃんと聞いた事無いわ。」

先輩に話してないとなると、これは相当な理由かもしれない。もしかすると、病気か何かか。パイロットを辞めさせられるような病気は色々ある。例えば、宇宙飛行士は日常生活では無視できるレベルの不整脈があっても、“適正無し”と判断される。もしかしたら、元気そうに見えているだけで、そういった傍目に見ただけでは分らないような何かとか…。

「変なこと聞いてすいませんでした。」

先輩は極々当たり前だといわんばかりの顔で、

「本人に直接聞いてみたら?」

思わず顔が引きつる。

「下手に聞いたら、ライカのエアインテイクに頭から入れられて、殺されかねません。」

先輩はふふっと笑いながら、

「朱音ちゃんはそんな事しないわよ。」

いや。あのあか姉のことだ。それはしないとしても、下手な事言った日にはノーズギアのギアライトに巧妙な細工をしかねない。そうやって事故死に見せかけようとするに違いない…。



そうでなくとも、何度複座のライカでアクロバット飛行に付き合わされ死に懸けたことか。思い出しただけで吐き気が…。



「すごい人ですね…。」

霞と社員食堂で昼食をとりながら、あか姉の話を聞かせた。

「ほんと、無茶苦茶な人だよ。まぁ、でも、唯一の“星間旅行”仲間だったな。」

「なんですか、それ?」

そう言って、霞はトマトパスタを口に運ぶ。

「いや、私の夢が月旅行だろ? あか姉は火星旅行が夢って言っててさ。良く二人でどうしたら星間旅行が出来るか話してたんだ。今考えると、突拍子も無い話ばっかりしてたけど、夢を共有出来ていたから心強かったんだ。」

「あかねさん、ですか。会ってみたいなぁ。どんな人なんだろ。」

そうだな…。

「…。あんな人だ。」

そういって霞の後ろ斜め右を指す。噂をすればなんとやら。そこには、金髪のミドルヘア。整備課のつなぎをきた、あの目つきの悪いあか姉がいた。

霞は後ろを振り返り、こっちに向き直った。

「ラーメンとカレー、二つも食べるんですか?」

「ラーメンと半ライスってあるだろ? あれの再現らしい。」

霞はまた後ろを振り返り、またこっちに向き直った。

「…どうしてラーメンにカレールーを入れてるんですか…?」

「カレーラーメンってあるだろ? あれの再現らしい。」

再び霞は後ろを振り向き、再びこっちに向き直った。

「…でも、それにはライスは入れませんよ…。なんで一緒くたに入れてるんですか…。」

「ラーメンの締めに冷や飯を入れるやつあるだろ? それの再現らしい。」

しばらく言葉を失う。

「ちょっと何かがおかしいです。」

「あぁ。知ってる。」

あか姉曰く、印中折衷。確かに起源はインドと中国ですけど、カレーライスもラーメンも日本人が勝手にアレンジした、立派な日本食です。とは、終ぞ言えなかった。

「あか姉。」

と、私。

「?」

と、あか姉。どこ見てんですか。こっちですよ。

「そっちで一緒に昼、いいですか?」

「ほう。ははははひほ。」

なんでラーメン食ってんのに、ご飯粒くっつけてんのかなぁ。

「霞、向こうで飯食おう。」

「…大丈夫なんですか?」

「大丈夫だよ。獣かなんかじゃないんだから。ああ見えて、いい人なんだ。」



前言撤回。下手こいた。



「かぁ〜いぃ子だなぁ。霞ちゃんって言うの? 歳いくつ? どこ住んでんの?」

あか姉は目つきの悪い顔でいやらしくにやっと笑った。どこのおっさんだよ。

「歳は二十歳です。実家は北海道の小樽ってところです。」

いや、霞。真面目に答えなくていいから。

「あか姉。あんまり霞をいじめないでください。」

「お、詩織。何だ? はは〜ん。さては…これか?」

なんで隠した手で中指立ててるんですか。普通、小指ですよ。

「やっぱそうなのか?」

「一般論だ!」

霞はあははっと笑いながら、

「仲がよくて羨ましいです。」

と、明後日な方向の見解を出してきた。

「霞ちゃんは良い子だなぁ。こんな奴と違って。こいつがルーキーだった頃は、そりゃもぉ、うるせぇガキでさぁ。」

人を指差すな。

「人に歴史あり、ですね。詩織さん。」

それを聞いたあか姉はげらげら笑い声を上げた。

「こいつに歴史なんて大そうなものはねぇよ! それより、俺の話聞くか?」

「霞。この人の話は気にするな。使えもしない話だからな。」

次の瞬間、あか姉の片腕が私の首根っこを捉えた。

「なんですか…。あか姉。先輩と違って腕がぶっといんですから、首が絞まります。」

「言うようになったな、詩織。私の明日生きる上で非常に役立つ雑学話がそんなに嫌いかぁ? ん?」

「どこの酒が美味いとか、どこのチームが今年は強いとか、そんな役にも立たない話、」

顔を近づけていやらしく笑った。私はとっさに自分の右腕をあか姉の腕と私の首の間に入れた。その判断は正しかったようで、この高飛車傲慢女はヘッドロックを仕掛けてきた。

「詩織、感だけは鋭くなったようだな。」

本気で締めて来やがった。

「あか姉こそ、歳くって力が落ちたんじゃないんですか? 再来年でいくつになるんでしたっけ?」

「なぁに。いずれはお前も通る道なんだよ!」





知りもしない人にうるさいと怒られた。





「最悪だったな…。」

航宙課に戻り、机に突っ伏しながら、霞に同意を求めた。

「そうですか? 面白い方じゃないですか。」

霞の奴、順応性が高いのか、何なのか…。あか姉と初対面にしてはよく話していた。

「すっかり、聞こうと思ってたこと聞きそびれたよ。」

コーヒーを作っている霞の後ろ頭を見ながら話しかける。

「異動の話ですか?」

「あぁ。なんで異動したか気になるだろ。それに、その時の気持ちとか、色々転職に役に立つ話かも知れないしな。」

霞はコーヒーを蒸らしながら、顔を振り向かせた。

「…詩織さん、本当に転職するんですか?」

「何度も言ってるだろ? 本気だよ。来年はここともおさらばだ。」

「でも〜…。美羽さんもすごく残念がってたじゃないですかぁ…。」

本日、昼前に、ついに、先輩に「会社を辞めるかも知れない。」という曖昧な表現でルナフェリーの搭乗員に応募する旨を伝えた。

先輩は私の「辞める。」という発言を聞いた時、この世の終わりみたいな顔をして、何度も

「本当に辞めちゃうの?」

と、聞き返してきた。だから、「辞めるかもしれない。」というところで落ち着いたんだが。

霞がコーヒーを私のところまで持ってきてくれた。

「? なんですかこれ。」

私のデスクの上においてあった厚い一冊の本を手に取った。私はコーヒーで唇を湿らせてから、 「航宙士の教本だ。改めて読んでみると色々勉強になる。」

と、答えた。

「試験勉強ですか?」

霞はぺらぺらとページをめくっている。

「書類審査のあとは筆記試験や実技試験があるんだ。今から準備しといて損は無いだろ。」

一通りめくり終わると、ぽんと元の位置に置いた。

「残業やって、勉強して、ちゃんと寝てるんですか?」

「あぁ。」

それなりにな。

「あんまり無茶しないでくださいよ。」

霞は私の対面の自分のデスクに戻り、仕事を再開した。隣のデスクにいるはずの先輩は昼休みが終わっても戻ってこなかった。

ちなみに、今日はライカ達の定期健診の日だ。だから空のお仕事は二日休み。たまってる地上の仕事を消化するにはいい機会だ。今頃、あか姉達があいつらを丸裸にひんむいて、弄繰り回していることだろう。

私は仕事をしながら、応募資格の船外活動経験時間が足らねぇ。とか。今更になって思い出した飛行航法の基本的なルールやら、緊急時マニュアルなんかを反芻しながら仕事をこなした。

航宙課内はコピー機やキーボードを叩く音、電話の音なんかで頭が割れそうだ。現場は静かでいいよなぁ。早くライカの修理が終わらないものか。

「詩織さん、内線です。」

霞が取った電話を私は自分のデスクに備え付けられている受話器で繋ぐ。

「はい。」

『あ、詩織ちゃん?』

先輩、どこに行ってたんですか。

『整備課でライカの検診に立ち会ってるの。それで、整備課から詩織ちゃんに格納庫に来てくれって。ライカの事で何か相談があるらしいわ。』

「場所は三番スポットでいいんですよね?」

『ええ。私はこれから、総務課に行くけど、朱音ちゃんがいるから。』

「はい。わかりました。」

『それじゃ、よろしくね。』

私は先輩が受話器を置くのを待って、電話を切った。

「なにかあったんですか?」

霞は私が電話を切るのを待っていたような顔で聞いてきた。

「私のライカでなにかあったらしい。よくわからん。とりあえず、今から出向く。しばらく、ここ空けるな。」

私は霞の見送りを背に三番スポットへ足を運んだ。





三番格納庫内。

整備課が一生懸命働いているおかげで、騒音がひどい。オフィスの喧騒なんてかわいいもんだな。こっちは怒号に重機音だ。

「あか姉。なんですか?」

私のライカの前で腕を組みながら仁王立ちしているあか姉に私が呼ばれたわけを聞く。ちらりと私を一瞥すると、解説が始まった。

「こいつの二番ノズルなんだがな。内側に小さなデブリ痕があるんだよ。さっき燃焼検査をやってみたんだが、やっぱり噴射ムラがひどい。ってなわけで、しばらくこいつはうちが預かる。その間、予備のを使っとけ。」

指を指した方向に目をやると、そこには無駄な配色が施された、かつてあか姉が使っていたライカが鎮座していた。

「…あれ使うんですか?」

「いかすだろ?」

私の趣味では無い。赤と黒の極彩色。もともとのライカの純白カラーによる清楚なイメージとは正反対に仕上げられている。勝手に色塗っちゃっていいのか。駄目だろうな。

「コードネームはベルカだ。」

勝手に名前をつけていいものなのだろうか。一応、こいつもライカだと思うんですが。

「せいぜい扱使ってやってくれ。」

あか姉は口元だけを歪ませ、にぃっと笑った。

「あか姉のこの機体、変な改造とかされてませんよね?」

「推力重量比が若干高くなってる。」

機体データが細かく記載されているバインダーを渡される。

「こいつでアクロバット決めると気っ持ち〜いいぞ〜。」

あか姉は視線をベルカに固定したまま、そう言った。

「…。」

宇宙を飛ぶのが好きで、火星旅行の話をしていた頃のあか姉を思い出した。…異動の理由を聞くべきか聞かざるべきか。…それが問題だ。

「あの、…あか姉。」

「あ?」

こういう事はうかつに聞いちゃまずいかな。やっぱり…。

私が言葉に詰まっていると、あか姉は周りにいる整備課の人間を手でしっしと追い払った。

「あぁ、いえ。そんな大した話じゃないんです…。あか姉。私の夢、覚えてますか?」

「月旅行だろ?」

覚えていてくれた。

「それで、今度、ルナフェリーの搭乗員募集が行われるんです。」

「あぁ。そうらしいな。」

「それに私、」

あか姉はポケットをまさぐり、タバコを探していた。

「ここ、火気厳禁ですよ。」

「…くわえてるだけだよ。」

あか姉は出しかけたジッポをポケットにしまいなおし、煙の出ていないタバコを不満顔でくわえたまま、

「それで?」

と、切り替えした。

「それに、応募してみようと思ってるんです。」

私の顔を見て、にっと笑い、

「そっか。頑張れよ。」

霞にも先輩にもなかった反応が返ってきて、やっぱりあか姉は私の事を分ってくれていると思った。

「…それで、あか姉の異動した理由を知りたいんです。」

我ながら話の繋ぎに無理があると思う。

「は? なんで?」

やっぱり。

「いえ…。転勤の前に、そういう話を聞いておくのも勉強になるかなって。その時の気持ちとか、色々。」

これはギアライトに細工される事、決定だ。

「そういうのは美羽に聞いたほうが的確な答えをくれるんじゃないか?」

「今、先輩に辞めるとか転勤とかは禁句なんです。」

これ止めますか? って日常会話でさえ、先輩は華奢な肩をびくんと震わせた。下手な事はもう言えないな…。

「美羽のことだから、詩織が会社辞めるって知った時、ショックでこの世の終わりみたいな顔を浮かべたろ?」

また、にぃっと口元を歪ませて笑った。その通りです。

「それで、どうなんですか? 言いにくい事だったら別に…。」

「ん? あぁ。何で異動したか? ありゃ、俺から言ったんだよ。整備課に移してくれって。」

「その…何かあったんですか。」

あか姉はなんの躊躇も無く、こう答えた。

「もう宇宙の仕事すんのに飽きたんだよ。」



時が止まったかのように思えた。



「…え?」

「だから、もう宇宙に出るのがやなんだもーん。」

そんな?

「そんな理由ですか? たったそれだけですか?」

「あ? 十分な理由だろ。」

「あ、いや…。でも、あか姉、火星まで行きたいって言ってたじゃないですか。人と同じ事はしたくないって。」

「それは昔の話だろ。」

なんで、なんで笑ってられるんだ。

「こうやって地上で整備やるのもいいもんだぞ。普通の社会人って感じがしてさ。」

何が普通だ…。

「あか姉はそれでいいんですか?」

「良いに決まってんだろ? 宇宙じゃタバコも吸えないし。」

何だよ、それ。

「それに。俺はもう、命を危険に晒してまで、宇宙にしがみつきたかねぇや。」



正直、頭にきた。



「あか姉には宇宙飛行士の誇りってものはないのかよ!」

「なに熱くなってんだよ。」

「あんたは火星へ行くんじゃなかったのか!」

畜生…。

「誰にも媚びず、独りで戦いぬくんじゃなかったのかよ!」

あか姉の顔つきが厳しく変わった。

「俺は誰にも媚びてなんかいねぇよ。俺は、ただひたすらに独りで生きていく。」

暖かいところに引き篭もって、適当なところに落ち着いて! 馴れ合いで過ごしている奴が、昔のあか姉と同じ台詞を吐くな…!

「今のあんたには宇宙にいた頃の凄みがねえんだ! 独りで何が何でも生き抜こうっていう凄みがな!」

あんたが私に全部教えた事だろ…! 宇宙は誰の助けも来ない。全部、自分自身で乗り越えなければならないって…。それなのに、それなのに! なんで満足できるんだ…!

「新入りが、一丁前の口をたたいてんじゃねぇよ。」

「新入りは昔の話だろ!」

「どうかな? 宇宙にただ必死にしがみ付いてるだけで、その意味も返せないんだろ。」

畜生っ畜生っ畜生っ…畜生っ!

「最前線に立つ人間だけが! 空飛んで! 音速の壁を破って! 地球から飛び出して! そうやって未来を創ってきたんだろ! 宇宙飛行士が命がけで宇宙へ出て、今日の限界を超えて、明日を創ることに存在意義があるんだろ!」

「…。」

あか姉は、ふっ、と鼻で笑った。

「何がおかしい…!」

「い〜やぁ。べつにぃ。」

私はあか姉を睨みつけたままだった。

「とにかく、飽きたんだよ。それに、未来がどうとか重くてヤだしね。つまらん。」

「何をっ…!」

「俺は宇宙に行きたかったから行った。飽きたら去る。それだけだ。」

「それは宇宙で戦いきれなくなった奴の言い訳、ただのわがままだ…!」

「エゴイスト結構だ! フォン・ブラウンの跡を継ぐ者は、例え人を殺すことになっても自分の欲求に逆らえないんだよ。」

あか姉は手に持っていた帽子を目深に被った。

「お前だって、宇宙開発の裏で、マイノリティーが黙殺されている事実は知ってるだろ?」

「…あんたから教わった。」

「そうだったな。」

あか姉は手をひらひらと振りながら作業へと戻っていった。



私もあんたと変わらない、エゴイストって言わせたいのかよ…。



深夜。デスクワークの残業中。霞と二人きりの航宙課。

「…。」

「…。」

パソコンのファンが回る音と壁掛け時計の音のみがこの空間を占める。

「なぁ…霞。」

「なんですか?」

「ルナフェリーの搭乗員に応募するって話…。」

時計。パソコン。音。

「月へ行くなんて、普通の人間には過ぎた夢なんだよ。でも、だから、ルナフェリーの搭乗員募集告知を見た時、こればっかりは何があっても譲れないって思ったんだ。行きてぇ。絶対、必ず、どうしても。何を引き換えにしたって構わない。って本気で思ったんだ。」

「何度も聞きましたよ、その話。」

霞は笑いながら答えた。

「…つまり、月旅行は一部の人間しか意味を成さないものなんだ。」

「確かに、ちょっと値段が張りますからね。」

違う。そういうことじゃない。

「だからさ、ルナフェリーは観光なんて、そんな事の目的に造られているんじゃないんだ。くだらない目的のために、フェリーを造ったり、月往還船を造ったりして莫大な金を動かすんだ。宇宙開発っていう名の下に。利己主義もいいところだと思わないか。」

「…どうしたんですか、詩織さん? なにかあったんですか?」

霞はパソコンの画面から目を離し、私の顔色を伺った。私はスクリーンセーバーが起動している画面を目に映したまま口を開いた。

「国際宇宙ステーションってあるだろ? あれって、先進国しか名前が連ねられていないんだ。笑っちゃうよな。国際だぜ? 結局、宇宙開発に参加できているのはロケット技術を持っている先進国クラブだけなんだよ。」

そう、宇宙開発は人類の総意なんかじゃない…。だが、マイノリティーは、黙殺される。

「ルナフェリーが開港するだろ。なんだかんだ言ったところで、やつらは月の植民地化が目的なんだよ。ああいった有人宇宙船は、国威発揚の側面が強いだけで、そのリスクとコストの高さに比べ享受できる利益が少ないんだ。宇宙開発にかかる莫大な費用を使えば、一体どれほどの餓死者を救えるか考えたことあるか? 宇宙開発の恩恵に授かれるのは一部の国で、多くは地上からその様子を見上げるしかないんだ。私はそれを知っていながら、自分の欲求を満たすため、宇宙開拓が正しいと思ってきた。」



否定して欲しい。



「そう思ってしまう私は…残酷なんだろうか…。」



沈黙。



「私には…わかりません。」







「…いいよ。…そんなもんだろ。」



人間なんてさ。





高度三〇〇キロ地点。低軌道。

『あの、詩織さん。考えたんですけど。』

「…何をだ。」

今日も衛星整備の仕事で性懲りも無く宇宙に上がってる。

『二日くらい前にした、宇宙開拓が正しいかどうかの話です。』

ここに浮かんでいる衛星もまた先進国所有のものだ。彼らの生活をより便利にするため、より豊かにするために浮かんでいる。そして、彼らは知っている。そばにいるものを踏み台にしなければ星々の高みに手は届かないという事を。

『航空技術や電気通信技術がここまで発達したのも、宇宙開発があったからこそだと思います。それに、宇宙食や宇宙服から転用した技術や宇宙開発をルーツに持つものが世の中にたくさん溢れているじゃないですか!』

それが、宇宙開発が正しいという理由か。そんなの、何遍も言い聞かせたさ。そうやって、知らない振りを続けたさ。けど、そんなことしたところで、自分自身を騙せていない。知らない振りをしているって事がわかっている。周りを欺いたところで自分自身を騙すことが出来なければ意味が無い。欺瞞にしかならない。

『宇宙開発は人の役に立つ技術を模索する立派な志があって、行われるものだと思います。』

違う。

「結果的にそうなっただけだ。宇宙開発は、戦争のために推し進められて来た。ローマ帝国は道路を築き世界を制覇し、大英帝国は船で世界に権を誇った。それと同じように、宇宙を制覇し、頭上に核爆弾の雨を降らす脅威を他国に与える為、莫大な国家予算を投入してまで、宇宙の開拓に躍起になったんだ。」

今更になって体の良い文句を饒舌に語られるより、こっちのほうが分りやすくて良い。人を殺す程の覚悟が無ければ、技術革新、ましてや宇宙を切り開くなんて出来やしないんだ。

『二人とも、ちょっといいかしら?』

先輩からの通信が入る。

『地上からのマスドライバー射出ミスで宇宙葬の棺がこの周回軌道に乗ってしまったらしいのよ。その回収要請が来てるんだけど、回収できそう?』

『はい。位置はわかりますか?』

と、霞。

『この近くにあるらしいんだけど、まだ特定は出来ていないわ。』

『分りました。こっちでも探してみます。』

ライカのほうに体を向けた霞の肩を掴む。

「待て。そんなもんほっとけ。」

『どうしてですか。』

霞の反応が冷たい。

「もうすぐここはダストトレイルの中に入る。長くいると隕石の雨にやられるぞ。そんなデブリのために命を危険に晒す事は無い。」

彼女は目を吊り上げていた。

『詩織さん。それ、本気で言ってるんですか!』

何をカリカリしてるんだよ。

「お前は気象データに目を通さなかったのか。」

『そうじゃないです! 詩織さん、今捜しているのは遺体なんです! 人の生きた証ですよ! デブリなんて言わないでください!』

「宇宙に浮かんでる不要な物体は全部デブリだろ。」

『信じられない! デブリ扱いするなんて!』

霞はドッキングしているライカへと身を翻した。

「おい。待て。」

言葉だけで、霞に静止を促す。

『私は行きます。』

振り向きもしやがらねぇ。

「あと数時間後には流星群の中に入る。大事なのはそこだろ。お前はどうか知らないが。私は月へ行くまでくたばるわけにはいかないんだ。」

『詩織さん…!』

「そんな物回収して、お前になんの得がある。」

『得とか損とか、そういう問題じゃないでしょ! 大事なのは、死んだ人と残された家族の気持ちです!』

「宇宙ってところは、誰の助けも得られない場所なんだ。その死体も宇宙に来た以上、自分独りで何とかするのが宇宙の掟だ。全部自分独りだ。独りで生きて、独りで死ぬ。それが宇宙に生きる人間の正しい姿だ。」

『そんなの違います。宇宙だろうが銀河だろうが、どこへ行っても、人は愛する人や大切な人と繋がってるんです。』

何ガキみたいな理想語ってる。

私が何か反論をしてやろうと口を開きかけたとき、通信が入った。

『詩織ちゃん、霞ちゃん。おしゃべりの途中で悪いんだけど、例の棺、見つかったわよ。』

先輩の言葉とともに、ヘルメットの前面にポイントが示された。

『ここからすぐ近くだから、ダストトレイルの交差時間までには作業は終わるわ。それなら詩織ちゃんも問題ないでしょ?』

「…。はい。先輩。」



私は真紅の機体、ベルカに乗り込み、棺桶の元へと移動を開始した。ポイントへは数分で着いた。

『これから回収作業に入ります。』

そう言って霞はライカのハッチを開き、棺桶へ近づいた。私もベルカのハッチを開き、後に続く。

『これが宇宙葬用の棺なんですね…。』

味も素っ気も無い。マスドライバーなんて代物に乗せられて、第二宇宙速度で宇宙の彼方に向けて射出されるだけなんだ。ただの鉄の塊で十分なんだろ。

『ここに何か書いてあります。』

棺の表と思われる方向に英字が表記されていた。霞がそれを読み上げる。

『…航宙士ニール・フロイド 遺言により月へ旅立つ。』

航宙士か。

「こいつ、月へ行きたかったのか。」

『…旅立つ時になって、やっぱり地球がいいって思ったんですかね。』

何また馬鹿なことを言ってるんだよ。

「死んだ人間がそんな事思うわけ無いだろ。」

『でも、この棺、地球の周回軌道から離れられなかったじゃないですか。きっと、フロイドさんがそう思ったから、最愛の人と離れるのが嫌だったから地球の周りに留まっていたんですよ。』

「くだらねぇ。マスドライバーの射出ミスって聞いたろ。それ以上でも以下でもない。」

私は棺桶にコンテナ固定用のロープを引っ掛ける。

『でもきっと、フロイドさんがやっぱりこんな広い宇宙で独りは嫌だ、寂しいって思ったからそういう事が起きたんだと思います。そういう奇跡が起きたんですよ。』

「奇跡…だ? 真顔で何ぬかしてんだ。そんな考えで、宇宙を生きていけると思うな。宇宙では、自分しか居ないんだ。ここでは全部、自分独りなんだよ。誰かと繋がっていたいなんて甘ったれは、独りで生きていく度胸の無い奴の言葉だ。宇宙に来てまで地べたを這いずり回るのが精一杯の奴らと足並み揃えて何が出来るって言うんだ。」

『寂しい事言わないでください! 人は誰かと分かち合うから、独りじゃ出来無い、色んな事を乗り越えられるんでしょ! 甘えとは違います!』

「違わねェよ! 全部自分独りでやるのが宇宙飛行士の正しい生き方なんだよ! 陸の上で仲良し小好しで生きたところで、その辺に転がってるくっだらねぇ人生を送るだけだ! やりたい事も、夢も、何もかも半端になって! 叶えられないと分ってからは言い訳を探し始める! 楽なんだろうな! 嫌な時は慰めてもらって、負けそうになれば縋り付く! 出来る時だけ行い、勝てる時だけ遣り通す! そうやって、なにかに自分を否定されることを極端に嫌がって、繋がりなんてあやふやなものに頼ってさ!」

私はコンテナに棺桶をしまいこむ。

「もし何か神的な力が作用したんだとしたら、このおっさんは宇宙から見放されたんだ。独りを恐れた人間を、宇宙は受け入れるはずが無い。」

私は違う。三八万キロ離れた月へ行こうが、孤独を恐れたりはしない。今の私に必要なのは他人との繋がりだとか、霞。お前達じゃねぇんだ。必要なのは、自分。それだけだ。それだけで十分なんだ。

『詩織さん。無理してる。』

「…は? 何がだ? どこが無理してるって言うんだよ。」

私は霞の言葉を無視し、ベルカに乗り込む。

『…無理してるよ。』

通信から霞の声が漏れ聞こえたが。無視した。



棺は遺族の元に返された。その後、宇宙葬を再び行ったかどうかは知らない。どっちだっていいだろ。そんな事。



休憩室。…あれから何日経ったっけ。何日だって良い。後日だ。

最近は残業までする体力も無く、仕事が終われば家に帰って勉強の毎日。EVA時間も応募資格に届きそうになってきたし、構わないと思った。

「詩織ちゃん、隣いい?」

先輩だ。

「…どうぞ。」

ふわりと柔らかい髪を浮かしながら、私の横に腰をかける。この休憩室には今、私と先輩の二人しかいない。

「サボり?」

「えぇ…。そんなとこです。」

先輩はそれを咎める訳でもなく、「私も。」なんて言って舌を出した。

しばらく無言。エアコンの回る音だけが聞こえる。

「詩織ちゃん、最近、無理しすぎじゃない? テストの前に体壊しちゃうわよ。」

「先輩と違って、私は凡人だから、余裕無いんですよ。頭悪いから、無理でもしなければルナフェリーの専属EVA要員なんてなれやしない。…粋のいい事ばっかり言って、いざとなったら言い訳を始めるような奴に成り下がりたくないんです。」

先輩は少し、悲しそうな顔をした。

「朱音ちゃんが何か言った?」

「どうしてですか。」

「女の勘。」

…。

「…あの人は、駄目ですよ。見損ないました。あんないい加減な人だと思ってなかったのに。」

私はまっすぐ、前の扉を睨んだ。

「朱音ちゃんはあれで、色々考えているのよ。」

先輩は苦笑いを交えながら、

「我が強いから、勘違いされる事が多いみたいだけど。」

「勘違いもなにも、あの人は、ただのわがままだ。人を平気で裏切る。そんな人です。」

私はあくまで平坦に言った。感情を込めずに。

「何も与えず、何も負わず。それが良いらしいわ。」

先輩はふふっと笑って、

「朱音ちゃんはわがままさんだから、そういう考え方なんでしょうね。」

再びエアコンのみが音を出し始める。時々、エアコンの風が先輩の髪を揺らしていた。

私が無言を続けていると、

「霞ちゃんとは仲直りした?」

先輩は前を向いたまま、突然切り出した。

「…喧嘩なんてしてませんよ。」

私も、前を向いたまま返事をした。

「嘘。二人とも、顔を合わせると俯いて互いの顔を見ようとしないじゃない。」

それは…。

「お節介かもしれないけど、早く仲直りしたほうがいいわよ。これは先輩としての忠告。」

「…。」

私はただ黙っていた。

先輩はふふっと笑い、立ち上がった。

「さて、私は仕事に戻りますか。」

私は先輩の背中に声をかけた。

「先輩。」

顔だけをこちらに振り返らせた。

「あと、二〇時間で船外活動経験時間の条件をクリアします。だから、あと二〇時間飛行したら、」

先輩は私の言葉を悟ったらしく、言葉を聞く前に、少し、残念そうな顔をした。

「私は、会社を辞めます。」











                                                  第四章



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