第二章 ゆめゆめ






宇宙開発が進む裏側で、宇宙のごみ問題も大きくクローズアップされるようになった。いわゆる、スペースデブリってやつだ。

実は、このスペースデブリはとても危険な存在だ。

使い捨てられた人工衛星や宇宙ステーション建造時に出た廃棄物。それだけじゃない。ロケット切り離し時に生じた破片、デブリ同士の衝突で生まれた微細デブリ、さらには剥がれた塗装。

そんな物がって思ってたら、甘いよ。

地球の周りを浮いてるってことは、地球に落ちないよう、高速で周りを回ってるって事だ。簡単に言っちまえば、地球の丸みに沿うように落ち続けてる。

速度にすれば秒速約八キロ。

八キロ先の物体が、次の一秒には目の前に来るって速さだ。人間が認識できるレベルを優に超えている。

柔らかい手袋でさえ、その速度で飛び回れば、立派なミサイルだ。

デブリのサイズにしたって、数ミリサイズもあれば、大砲で撃たれたのと同じ破壊力を持つし、数センチサイズになれば、宇宙船なんてあっという間に破砕する。そんなデブリがこの宇宙には数百万、数千万あるといわれている。

そこで、私達は衛星の修理や点検を行う一方で、この危険な宇宙のごみを拾う仕事もしているわけだ。ただのごみ拾いじゃない。宇宙開発には欠かせない仕事だ。

ま、なんだかんだ言っても、結局のところ、宇宙のごみ問題は深刻化の一途を辿っている。



空港地下、オオバ社社員食堂。

「沢月さん、野菜もちゃんと採らないと駄目ですよ。」

仕事も昼休みに入り、食堂は大勢の職員で賑わう中、天宮と二人で昼食をとっている。

「野菜は食いたくなったら食うからいいんだ。今は気分じゃない。」

天宮の彩り綺麗な日替わりランチを横目に、白と黒のカルボナーラをくるくる巻き取る。

「そう言って、もう一週間、パスタじゃないですか。」

「たまにトマトパスタも食ってんだろ?」

「駄目ですよ。健康に気を使わないと、パイロットとして失格です。自炊とかちゃんとしてるんですか?」

天宮は日替わりランチに付いてくるサラダからミニトマトをぱくりと口に運んだ。

「昨日の夜はパスタを作った。」

「その前の日は?」

「パスタ。」

「その前の日は?」

「パスタ。」

あからさまに呆れ顔するな。

「野菜を食べなさいって何度言ったらわかるのかしらね。」

私の後ろ頭から、聞きなれた声が聞こえたので、振り返る。すると、そこには見慣れたストレートヘアの女が居た。

「ユキ、昼飯か?」

私はパスタを頬張りながら聞いた。

「うん。詩織はまたパスタ?」

ユキは私のテーブルにある食いかけのカルボナーラを見て溜め息を一つ。

「健康に気を使わないと、パイロット失格よ。」

それはさっき天宮から聞いた。

「ユキもこいつと同じ事言うのか。」

私はテーブルを挟んだ向かいで味噌汁をすすっている奴を親指で指した。

「あれ、その子は?」

ユキは、この春にオオバ社に入ってきたはいいが、あまりにも頭がお花畑なやつで周りに迷惑をかけまくっている新入社員をはじめて見るかのような目で天宮をみた。

「航宙課に新しく入った天宮だ。知ってるだろ?」

私はあごで天宮を指した。

「あの天宮さん?」

そう言ってユキはくすくすと笑った。

この笑いはどういった意味だろうな。私の話した数ある“天宮伝説”のどれを思い出したんだ? 「沢月さん、お知り合いの方ですか?」

天宮は状況が上手く飲み込めないでいた。

まぁ、天宮はユキのことを知らないだろう。天宮にとって見れば、こいつは名も無き通行人A。その名も“おで子”。ってところだろ。

私はヘアバンドでデコを露呈しているロングヘアのユキを指で指しながら、

「同期入社の広瀬ユキ。管制課でデブリ監視をやってる。」

と、当たり障りの無い紹介をする。

ユキは頬を掻きながら、

「デブリ位置を伝えるために通信した事が何度かあるんだけど、覚えてないか。」

苦笑い。

まぁ、ユキは通信担当というより、デブリ処理のフライトプランを企画する仕事が主だからな。現場で声を聞くのは、ユキが自分の企画した仕事を見届けたいって出しゃばる時ぐらいだ。

「そんなことよりユキ。飯食うんだろ? せっかくだから一緒に食わないか。」

「お邪魔していい?」

と、ユキは天宮に断りを入れた。

「はい。もちろん。」

天宮は馬鹿みたいに笑いながら答えた。

ユキは手にサンドイッチを抱えながら、私の隣に腰を落ち着かせた。

「あ、お茶持ってきますね。沢月さんも飲みますよね?」

こういう時に限って、天宮は甲斐甲斐しくお茶を汲みに行くのであった。

「可愛い子ね。天宮さん。」

ユキはどこをどう見たんだか。

「一緒に仕事してないからそんな事言えるんだよ。」

私の悪態にユキは笑いながら、

「彼女の何が不満なの?」

なんてくだらないことを聞いてきた。

「何度も言ったろ? 考え方がガキなんだよ。すぐ平和だの自由だのって。」

「私だって、平和や自由って言葉は口にするわよ?」

「そういうユキみたいなレベルじゃないんだよ。あいつの場合、ただ言ってるだけで何も考えてないね。」

私は白と黒のパスタをぐるぐる巻き取る。

「ふぅ〜ん。」

「とにかくガキなんだ。あいつは。」

私はそう言って、口の中をカルボナーラでいっぱいにすると、能天気な顔をした天宮が戻ってきた。

「どうぞ、広瀬さん。」

「ありがとう。」

私も天宮からお茶を受け取る。そのやり取りを見て、ユキがポツリと、

「素直じゃないな。詩織は。」

と言って、クスクスと笑いを押し殺していた。

「…うるせぇ。」



昼食もとり終わり、ユキとも別れ、午後の仕事を開始する。と言っても、今日はフライトの予定は無い。こんな時はもっぱらデスクワークだ。

「私には現場が似合ってんだよ。」

机に山積みになった書類を押しのけ、前のめりに突っ伏しながら、仕事の不出来に言い訳をして見る。

その言い訳に対して先輩は、

「霞ちゃんもいるんだから、しっかり先輩らしいところを見せないと。」

と、私を励ましてくれた。

「天宮の奴は仕事できてるんですか?」

顔を起こし、私の前にいるはずの天宮がどこにいるか辺りを見渡すと、課長に迷惑をかけている真っ最中であった。

「まだ不慣れだけど、頑張ってくれているわ。」

笑顔。

私は先輩の笑顔を見てつくづく思う。先輩は人が出来ていますね。不慣れだからとか、頑張っているから、ということで許してくれるなんて。

「二年前を思い出すわね。」

ふふっと笑う先輩。

「聞きたくないですけど、先輩はどうして天宮を見ると、私の入社したての二年前を思い出すんですか。」

「詩織ちゃんと霞ちゃんそっくりだから。」

冗談。

先輩と天宮の噂をしていると、本人が自分の机に舞い戻ってきた。課長をいじめるのはもう気が済んだか?

「沢月さん。」

「なんだ?」

また、面倒くさいこと言い出すんじゃないだろうな…。

「この後、ライカの練習見てくれませんか?」

なんで私が。





「だから、お前は何でもかんでもディスプレイにデータを出しすぎるんだよ!」

「すいません…。」

整備課に頼み込んで、多くの人間が帰宅した夜の格納庫にて複座のライカでシミュレーション中。天宮が前。私は後部座席から指導。

「今度はあのリフトフォークにあわせてみろ。」

「了解です。」

天宮は操縦桿を握りなおした。

「ほら、ターゲットロック。」

「はい。…ヒット確認。ロック完了。」

ライカの前方視野にLOCKの文字が点滅している。

「ターゲットチェンジ。ポイント、レフト。」

リフトフォークの隣に適当なダンボールがあったので、それをロックするよう天宮に指示を出す。 「はい。ターゲットチェンジ…。」

またしてもライカのコックピットにはデータがわんさか表示され始めた。

「わわわっ!」

私は溜め息を吐きながら、

「本番でこれをやったらテンパるぞ。もっと、簡単にしとけって。」

ライカに表示されたデータを私は一つ一つ閉じる。

「必要な分はショートカット機能を使うとか、設定をいじってもいいんだ。そういうところは自分用に合わせとけって。」

天宮は丸秘と書かれているメモ帳を取り出し、私の話を聞いては細々と何かを書き綴っている。

「お前が一人で飛べるようになるのはいつになるんだかな。」

私は肩をすぼませて見せた。

「〜…。私だって、飛ぶくらいなら出来ますよ…。」

子供のように頬を膨らまし、拗ねた声を上げる。

「飛ぶだけならライカである必要がないだろ? デブリや衛星にライカでランデブ出来るようになって初めて飛べたって言うんだよ。」

「〜…。」

「拗ねてる暇あるなら、さっさと練習始めるぞ。」

そう言って私は、彼女にライカの使い方をまた一から説明するのであった。



また一から説明するのであった。



説明するのであった。





「それで、天宮さんは上達したの?」

社員食堂で昼食を食べながら、ユキにこんなことを聞かれた。

そんなもん、答えは最初から決まっている。それをどう緩和して答えるか考えたが、そんな表現を変えたところで、ユキの天宮に対する心象になんら影響ないだろう。ってなわけで、思ったまま口にすることにした。

「あいつにはセンスの欠片もねぇ。」

ユキは口に運ぼうとしていたコーヒーから、顔を離し、クスクス笑った。

「詩織だって二年前、私に愚痴をこぼしてたじゃない。」

なんて愚痴を言ったっけ?

「あれは人の動かすもんじゃねぇ。って。」

ユキはクスクス笑いながら、

「初めてならそんな物なんじゃないの?」

なんて天宮を擁護し始めた。

「そうだとしても、あいつの場合は論外だ。ランデブ操作にしたって、あいつが出来るまで何日掛かったと思ってるんだよ。」

私はパスタをぐるぐる巻き取り、口いっぱいに詰め込んだ。

まったく、あの練習を思い返すだけで疲れる。毎日同じ練習して、つき合わされてるほうの身にもなれっての。天宮の奴。基本操作を覚えたくらいで喜びやがって。まったく、それぐらい出来て当然だっての。覚える事はまだ他にいくらでも…

ふと目をやると、ユキが顔をほころばせながらこちらを見ていた。

「ほんと、素直じゃないな。」

「…。」

私はうるせぇと言う変わりに、パスタを頬張った。

「とこで、詩織。」

何だよ、改まって。

「このフライトプランをみてくれない?」

渡された書類はいつもと変わらない飛行計画書だった。

「どうかしたのか?」

「その仕事、詩織達にやってもらいたいの。」

私はぺらぺらと書類に目を通す。私は顔を曇らさずにいられなかった。

「…他のチームにしたほうがいいんじゃないのか? 私がこの衛星の修理をしたら、また失敗するかもしれないぞ。」

「私は詩織達に任せたいの。お願い。引き受けてくれない?」

ユキは両手を合わせ、お願いのポーズをとった。

「…お願いって言われても…。」

「この仕事は失敗したくないの。だから、ね?」

「だったら、尚の事、他のチームにした方がいい。」

「私は詩織のチームを信頼してるのよ。」

チーム、ねぇ。

「天宮もか?」

私は皮肉たっぷりの笑顔を浮かべてやった。

「詩織が信頼してるから、同じくらい信頼してるわよ。信頼してるんでしょ?」

「いーや。あいつは邪魔なだけだ。」

ユキはクスクス笑い、

「そうは言っても、詩織にしては珍しく彼女は三人目のクルーとして続いてるじゃない。なんだかんだ言って、天宮さんを信頼してるんでしょ?」

ばぁか。

「…それに、詩織達で駄目だってなったら諦めも付くし。」

ユキはコーヒーに目を落とす。

「諦めって何だよ。」

「この仕事が成功すればの話なんだけど、本社転勤の話がきてるの。」

「本社転勤…?」

私は天宮のように大口を開けた。

「よかったじゃないか!」

「まぁ、この仕事を上手くまとめられたらの話なんだけどね。」

ユキは困ったように笑った。

「そっか。本社か。ユキの昔からの夢だったもんなぁ。」

そっかぁ…。

「わかった。このフライトプランを先輩に見せとく。」

ユキの顔がぱっと晴れた。

「ほんと! ありがとう詩織!」

「まぁ、長い付き合いだしな。ひとつくらいわがまま聞いてやってもいい。」

それに、本社転勤が決まれば、これがユキと出来る最後の仕事になるだろうし。

ニコニコ笑っているユキの顔をみて、

「たぶん、失敗するけどな。」

なんて言ってみる。

「大丈夫。私が保証するから。」

ユキはピースをしてくれた。

まったく。素直じゃねぇな…私は。

ユキはコーヒーを一口のみ、ほっと一息ついた。

「ここに勤め始めてからもう三年目。早いものね。」

「あぁ…。本当だな。」

私は水で唇を湿らせた。

「いっそこのまま、社長にでもなっちまうか?」

私が冗談めかしにそう言うと、ユキは首を横に振った。

「ならないよ。私は世界の空からデブリ事故をなくすんだから。」

「前からそれ言ってるよな。」

いつだったか、ユキが本社で働きたいという話を聞いたことがある。何でも、本社にはデブリ対策の部署があって、そこで本格的にデブリの環境問題に取り組みたいという話だった。

「きっと成功させるからな。」

「ありがとう。」







午後のフライトの後は、倉庫で天宮の練習に付き合うことが日課になっていた。今日も整備課の連中が引き上げた夜の倉庫でライカに乗り、練習中だ。

「あの…。沢月さん?」

「…。」

「練習に付き合わせてしまってすいません…。基本動作は覚えましたし、後は私一人でも大丈夫ですから…。」

「…あ? あぁ。悪い。どこまでいった?」

「あ、じゃあ、最初からやってみますから見ててください。」

あぁ…。

ライカのディスプレイ上で私の教えた事が次々と消化されていく。

「…天宮。」

私は天宮の後ろ頭に話しかけた。

「あ、私、どこか間違ってましたか?」

「いや…。」

天宮は私の無意味の沈黙に顔をこちらに向けて私の顔を確かめていた。

「…お前さ、夢ってあるか?」

「夢ですか?」

「そう、夢だ。」

別にこいつに聞いてどうなるって訳でもない。ただ、聞いておきたかっただけだ。

「そうですねぇ…夢ですか…」

天宮は腕を組み、唸り始めた。

私はてっきり、宇宙平和。人類の自由と平等。愛で世界を救う!

そういった、夢物語を何一つ疑いもせず口にするものだとばかり思っていた。

しかし、彼女からは明確な答えが返ってこぬまま、逆に質問し返された。

「沢月さんはどうなんですか?」

「私は…。」

答えるのに数瞬の躊躇をしたが、別に隠すことでもないし、聞いた手前、自分が答えないのも何か違うなと思い、天宮の奴に自分の夢を教えることに若干の抵抗を感じつつ、嫌嫌ながらも、私は口を開いた。

「…月。」

「月?」

天宮は顔をこちらに向けているだけでは飽き足らず、飛び跳ねるようにして体を私に向けてきた。 「月旅行とかですか?」

「…そうだよ。何か悪いかよ。」

「いえ、でも、月旅行ってむちゃくちゃ高いんですよね? 沢月さん、お金あるんですか?」

「…。方法はいくらでもあるんだよ。例えば、今、静止軌道上に月往還船のフェリーポートの建設が進んでるだろ。あれが完成したら、もっと月は身近なものになる。そうなれば…」

そうなれば…

へぇ〜なんて感嘆詞を天宮は呟いた。

「…なんだよ。なにかおかしいかよ。」

やっぱり話すんじゃなかった。

そう思った矢先、天宮は目を輝かせながら、こう言ったんだ。

「おかしくなんか無いですよ! 素敵だなって思ったんです! 何かに向かって一生懸命なのは、とってもいいことだと思います! そうですね、夢ですか…。」

やっぱり話すんじゃなかった。

天宮はしきりにうんうん頷いて、メモ帳を取り出し、でかでかと、夢と書いて丸でくくっていた。 なんて短絡的なメモなんだ。



ユキ、お前はすごいよ。私は…私は、一体、何やってるんだろうな…。



「でも、どうしたんですか?」

天宮がメモ帳をしまいながら、うきうきという表現がまさに今のこいつといわんばかりの顔つきで聞いてきた。

「夢だなんて。沢月さんらしからぬ発言じゃないですか。」

お前は私をどう見てるんだよ。

「私が管制課からもらってきた仕事があったろ?」

天宮は視線を天井に向け、思い出す動作をした。

「あの広瀬さんからもらったって言う仕事ですか? 今度のフライトの。」

「あぁ。その仕事を成功させれば、ユキが転勤するんだよ。本社に。」

「すごいですね! 栄転じゃないですか!」

「その話を聞いた時、本社勤務が夢だって昔あいつから聞いたのを思い出してさ。」

「それで夢ですか。」

「まぁ、な。」

天宮はうんうん頷いた。

「それじゃ、今度の仕事は失敗できませんね!」

「あぁ…。」

「私も失敗しないように、もっと練習頑張ります!」



おかげさまで、遅くまで練習に付き合わされた。



天宮の練習が終わり、帰宅する頃には月が空高く浮かんでいた。

会社から出ると天宮はその月を見て、

「月…いいですね! まさに夢って感じです!」

と、私のさっきの話を思い出したようだった。

「ひょっとして沢月さん、月旅行のためにずっと節約してるとか! だから毎日パスタだったとか!」

私は月を一瞥してから、歩き出した。

「月は、もういいんだ。」

天宮はきょとんとしてから、小走りで私に追い付き、隣を歩き始めた。

「もういいってどういうことですか?」

「月旅行なんて現実的な夢じゃないし、我ながら子供じみた夢だと思ってたんだ。そろそろ、堅実な将来設計とか考えるのも悪くないし…。」

天宮は困ったような、疑うような顔をした。

「でも、さっきルナフェリーが完成したらって。」

「いくらフェリーで月旅行が安くなるって言っても、海外旅行に行くのとは訳が違うんだ。」

「せっかくの夢、諦めちゃうんですか?」

「諦めるも何も、そんな夢、無理に決まってんだろ。所詮、夢だよ。」

「そんなの、やってみなければわからないじゃないですか。」

「やらなければわからないなんてのは、ガキの専売特許だ。やらなくたってわかるよ。もう、決まりきってる。」

「そんな事ないですよ! 沢月さんならきっと出来ますよ!」

…。

「お前に私の何がわかるっていうんだよ。」

私は天宮の顔を見ないように、歩き続けた。





夢の話をした日を境に、私が、というよりも、天宮の方に熱が入った感じで、今まで以上に仕事に取り組んでいた。

私は、相変わらずだが。

「沢月さん、このジュース飲むと抽選で一名様に現行の月旅行が当たるらしいんです!」

とか、

「沢月さん、この宝くじの一等が当たれば!」

とか、

「沢月さん、月の土地の権利書が売ってるらしいですよ!」

なんて。

事ある事に月、月、月、月。…やかましいっての。



どうせ、そんな夢…。月旅行なんてさ…。





「今回の仕事は、大型通信衛星の整備、点検よ。」

今日のフライトが成功すればユキとも離れ離れになる。そのフライト前、先輩の話を航宙課で資料に目を通しながら聞く。

「この衛星、二年前から複数の会社が修理を手がけてきたんだけど、今のところ修理に成功した会社は無し。身持ちの硬い衛星として有名なのよ。」

天宮が自分のデスクで資料を読みながら、頭に疑問符を浮かべていた。

「春日さん。この資料を読む限りじゃ、ただの推進剤の補給じゃないですか? どうしてどこも失敗ばかりなんですか?」

「企業側の設計で、燃料タンクが衛星の奥にしまいこまれているの。だから、この衛星の燃料を補給するには分解して燃料タンクをださなければならないのよ。」

「その分解が出来ないんですか?」

「分解自体は時間をかければ出来るんだけど、その時間が問題なの。一回のEVA可能時間は酸素やバッテリーの関係から約七時間。七時間以内に、大型衛星の解体、燃料補給、組み立て。これらの工程を行わなければいけないってところが、どこの会社も手こずっているポイントよ。」

なるほど、と天宮は頷いた。

「大型だから回収するのも、再打ち上げするにもお金はかかるし、かといって推進剤の補給も届こうってしまっている。デブリとして廃棄するか、リサイクルするかってなったんだけど、衛星を所有するサイコム社が、デブリ認定を拒んできたの。」

天宮のやつは資料とにらめっこしてる。

「彼らによれば、衛星は現在試験運用中でデブリ認定を不当な処分。と、いうわけ。」

私は資料を机に広げ、肘を付いた。

「そう言って二年経った。結局、リサイクルする金も無いけど、デブリ認定されて、アボート率を上げたくないってだけの言い訳だろ。そんな奴らの尻拭いなんてアホくさくてやってられないっての。」

投げやりな台詞に天宮がむっと顔をしかめた。

「沢月さん、真面目に話を聞いてください! 広瀬さんの転勤がかかってるんですよ!」

「お前に言われなくても分ってる。」

「だったらもっと真剣に取り組んでください!」

天宮は頬を膨らました。私も目を吊り上げた。

わかってんだよ。お前に言われなくても。

トントン、と机を叩く音が響いた。

「まだカンファレンスは終わってないでしょ。喧嘩を続けるようなら、廊下に立ってもらいます。それも、バケツ付きよ。」

先輩はしばらく私達を見比べ、うん。と頷いた。

「実は、私と詩織ちゃんはこの衛星を修理するのはこれで二度目なの。」

天宮は先輩と私を交互に見た。

「それじゃ春日さんと沢月さんは、この衛星を知ってるんですか?」

「あぁ。良く知ってるよ。二年前、先輩のクルーに入りたての頃、修理したやつだからな…。こいつは。」

結局、回復させる事は出来なかったが。

先輩のいつもの癖。話を終わらせる時の咳払いを、こほんとして、

「分解と並行して、衛星の姿勢制御スラスターの交換も行うわ。だから、今日は地上から荷物を抱えて空に上がるわよ。大型衛星で荷物が多くなるから、今日は霞ちゃんにも単座で飛んでもらって、荷物を運んでもらうからね。」

そして、柔らかい笑顔を作った。

「今度こそ成功させましょうね。」







「あの、沢月さん。」

「…。」

パイロットスーツの更衣室。着替え終わった私は天宮の着替えが終わるまで天井を眺め、暇を潰すことにした。

「今度、東京で月の石が展示されるそうなんです。」

天宮がまた月と言い出した。

「…。」

「私、まだ本物見たことが無いんです。よかったら、一緒に見に行きませんか?」

「…。」

目だけを動かし、天宮を見ると、こいつはしばらく下を向き、沈黙の後、顔をあげ、またしゃべりだした。

「私、EVAは駄目かもしれないですけど、この仕事は絶対に失敗しないように頑張ります。広瀬さんの転勤がかかってるんです。必ず成功させてみせます!」

私が黙って天井を仰ぎ、座っていたら、天宮が私の両の手をぐっと引っ張った。

「気合入れてください! 沢月さん! そりゃあ、確かに、私は使えないひよっこかも知れませんが、だからってふてくされること無いじゃないですか! ユキさんに見せてあげましょうよ! 沢月さんも夢に向かって頑張ってるだってところ。沢月さんの夢なんでしょ、月旅行!」

「いい加減にしろっ!」

私は大声を張り上げ、握られている両の手を払い除けた。

「…わかってる…もう、わかってんだ。月なんてな、たかだか一介のサラリーマンが何十年働いたところで、本当に行けやしないって。」

私の目は釣りあがり、奥歯からはきしむ音が漏れる。

「二年で何が変わった。私は未だに平社員で、貯金も無い。地球の周りを飛ぶだけの毎日で、月どころか、たった四分の宇宙旅行行く金もねぇ!」

ヘルメットを引っつかみ、ドアノブへ手をかける。

「お前もそのうちわかるよ。夢を叶えるって言ったってな、出来る事と出来ない事があるんだよ!」

私は一足先に、ライカの元へと移動した。





ライカのエンジン音が唸り始める。

『こちらオオバ12。滑走路一六へ向けてプッシュバックを許可します。』

管制からの通信。このやり取りもいつもと同じ。二年前からなにも変わっちゃいない。

「オオバ12、滑走路一六へ向けてプッシュバックする。」

ライカは特殊車両によって目的の滑走路へと押し出される。

「カゴシマグランド。こちらオオバ12。リクエスト、タクシー。」

『オオバ12、滑走路一六へロミオツー、パパ経由で地上走行してください。』

「R2、P、了解。」

私はいつもどおり、ライカを滑走路へ向かわせ、同じように、ライカのエンジンの回転を上げ、滑走路を走らせる。

離陸準備が整った私は、天宮の居ないコックピットで久しぶりに一人で離陸する。

私は限りなく静に近い動作しか行っていないのにも関らず、周りの景色は目まぐるしい速さで後方へ流されていく。そして、いつの間にか景色は空だけになる。

いつだって空は表情を変える。

だが、私達はその表情を変えるこの空間をただ一言、空と呼ぶんだ。変わった気でいるのは空だけで、周りから見れば、何十年何百年経とうが、お前は変わりっこない。そう言う事だろ。

『詩織ちゃん、霞ちゃん。聞こえる?』

先輩の通信が入る。

「感度良好です。」

天宮も遅れて返答している。

『これからポイントに向かうから、二人とも、ついてきて。』

私と天宮は、先輩の後ろをついていく。

高度約三万六千キロ。静止軌道とよばれる場所だ。予測ランデブポイントに移動すると、そこには二年前に見た衛星があった。中央が球形を成し、三軸方向に大型アンテナが伸びている一五メートルの通信衛星。

「ほんと、二年前と何も変わってない…。お前も私も…。」

『…沢月さん、何ですか?』

天宮の奴が隣を飛びながら、聞き返してきた。

「…ユキの転勤がかかってんだ。失敗は許されないからな。」

天宮は私の声を聞くと、小気味良く、

『はい!』

と答えた。

「それから、今回は時間との勝負だ。日頃の練習の成果を発揮しろよ。」

『了解です。』

私は地上管制と連絡を取る。

「カゴシマオービットこちらオオバ12。」

『オオバ12、こちらカゴシマオービット。どうぞ。』

ユキの声だ。

「フライトレベル1174。リクエスト、デブリ。」

『オオバ12、状況フリー。』

「状況フリー、了解。」

デブリの心配は無いようだ。

私は通信衛星へのランデブを行いながら先輩に回線を開く。

「ターゲットヒット。ロック完了しました。ランデブ開始します。」

『了解。霞ちゃんは?』

『はい。ロック完了しました。衛星の右側からランデブします。』

天宮のライカは私と反対側にドッキングした。互いの機体が衛星と繋がり、安定したところで、天宮に回線を開く。

「基本作業は私がする。お前はスラスターの交換を済ませとけ。」

『はい。了解です。』

ライカのハッチを開放し、私は宇宙空間に潜る。

こんな何も無い宇宙空間で私達が安心して仕事できるのも、偏に先輩の的確なバックアップと地上のユキのおかげだ。

宇宙は人一人には広すぎるんだ。

先輩から送られてくる衛星のデータを参照しながら外装を取り外し、燃料タンクを露呈させるため中央部分の分解作業に取り掛かる。一方で天宮はスラスターの交換作業を行っている。今のところ問題は無く、順調に作業は進んでいる。

天宮と交信する。

「そっちの具合はどうだ?」

『メインスラスターの交換が終われば完了します。』

「わかった。メインスラスターは私のライカが持ってきている。取りに行けるか?」

『はい。行けます。』

天宮は衛星にドッキングしている私のライカに近づき、底部のコンテナを開き、スラスターを取り出した。

すると、衝撃。ぐるりぐるりと衛星が回転し始めた。

『大丈夫よ、詩織ちゃん。衛星のベクトルがずれたけど、地上に落ちることは無いわ。回転を止められる?』

先輩の通信で平静を取り戻す。

「ライカの姿勢制御スラスターを使えば出来ると思います。それより、天宮は?」

辺りを見渡そうにも、ぐるぐるまわっちまって分りにくい。

『私は大丈夫です。衝撃時に衛星から離れていましたから。』

とりあえず、被害はなさそうだ。ぐるぐると周る衛星から、私は周辺の安全を確認するため、地上に声を飛ばした。

「カゴシマオービット。こちらオオバ12。」

『オオバ12、こちらカゴシマオービット。』

「今、衛星にデブリが当たった。周辺にはデブリは無いんじゃなかったのか? ユキ。」

『ごめん詩織。小さすぎて、こっちではモニターできてなかった。』

「まぁ、極々小デブリだったおかげで、大した被害はでなかったが。」

『最悪、二次デブリの心配は無いみたい。今ので進行ベクトルに変化が出たけど、問題無いと思うわ。何かあったらまた連絡する。』

「了解。」

そう言うと、私のヘルメットにこの衛星の修正軌道マップが表示された。

「天宮。こっちに来れるか?」

デブリ衝突時に衛星に触れていなかった天宮は回転する物体に近づけないでいた。

『スラスターを抱えながらだと、難しいです。』

「わかった。無理しなくて良い。回転を止めるまでそこで待ってろ。」

取り合えず、この衛星のスピンを食い止めるか。

私は回転する衛星から飛ばされないようにしながらライカに乗り込み、スラスターを稼動させ回転を止める。

「天宮、どうだ?」

『はい。今からスラスターの交換作業を再開します。』

思わぬタイムロスをくらった。

EVAを初めて二時間あまりか。まだ時間はあるといえ、油断は出来ない。



衛星の中央を丸裸にされながら、周りのスラスターは新しいものに交換されていく。



天宮は任されていた交換作業を終わらせ、私のほうの手伝いを始めた。まぁ、こいつもミッションスペシャリストの資格は持ってるだけはあって、それなりの作業は出来ている。

『なんとか、間に合いそうですね。』

衛星の燃料タンクが顔を出してきたことを確認すると天宮がそう言った。

「そうだな。」

作業開始から三時間。残り四時間以内でなんとか終わらせることが出来そうだ。

燃料タンク周辺の部品を解体し、仕事の第一工程は終了した。

「先輩、これから推進剤の注入を行います。燃料をこっちにまわしてもらえますか。」

先輩は私のこの合図が今来ることを知っていたかのようなタイミングでライカを寄せて、私に通信を飛ばしてきた。

『底部のコンテナに給油ホースを繋いで。連結が確認できたら、補給を開始するから。』

「了解。」



ライカに給油ホースを繋ぎ、衛星に推進剤が補給される。



後は、分解した部品を元に戻し、仕事は終わる。何て事は無い、―はずだった。



補給が終わるか終わらないかといった頃に、ユキから通信が入った。

『オオバ12。こちらカゴシマオービット。対象衛星、スコークコード7700。』

ヘルメットに表示されていた軌道マップの衛星に“7700”と数字が並んだ。この表示を確認した天宮が、顔をこちらに向けてきた。

『7700って確か、非常事態宣言のコードですよね?』

正解だ。

「ユキ。どういうことだ? 何かあったのか?」

『先のデブリ衝突で軌道がずれて、静止軌道上にある建造途中のルナフェリーとニアミスする危険が発生したの。だから、その衛星から離脱して。』

天宮が通信に割り込んできた。

『広瀬さん。こっちはまだ軌道変更できませんけど、フェリーの軌道は変えられないんですか?』

『ルナフェリーは建造途中で、まだ軌道変更は出来ないの。』

『そんな…。せっかく成功しそうなのに…。』

「ちょっと待てよ。」

と、私。

「衛星はもう少しで修理し終わるんだ。交差まで後どれくらいあるんだ。」

私はユキに問い詰めた。

『あと一〇〇分後。』

「わかった。何とか間に合わせてみせる。」

『え、詩織? 間に合わせるって。』

「天宮。燃料の補給が済み次第、即行で組み上げるぞ。」

天宮は何の躊躇も無く、

『分りました。』

と、返事をした。

『ちょっと詩織! コード7700。早くそこから離脱しなさい!』

私はユキからの通信を無視した。

「先輩。天宮にもわかるようにこの衛星のデータを。それから、交差する衛星の軌道データをリアルタイムで送ってください。」

『了解。』

先輩の透き通った声を聞くと、ユキの怒声が伝わってきた。

『詩織! 何考えてるの!』

「別に。ようはこいつを修理して、軌道を変えればいいだけだろ。簡単な話だよ。もともとあった制限時間が少し繰り上がっただけだ。」

『天宮さん、詩織に何とか言って!』

『大丈夫です。すぐに修理しちゃいますから。』

天宮も私の意図を汲み取ってくれたのか、私に向けて親指を立てた。

私も親指を立てとけばいいのか?



実際、残り一〇〇分はきつい。



作業開始五〇分。残り半分を切った頃。細かい作業が多かったといえ、作業工程が半分消化出来ていなかった。

『詩織。後四〇分で出来なかった離脱する約束は守ってもらうからね。』

ユキが私に何度も確認してくる。

「分ってるよ。ちゃんと組み立ててやる。」

『…わかった。頑張って、詩織。』



残り二〇分。



「天宮、そっちはどうだ?」

『工程の三四までは出来ました。』

「先輩。」

『信号確認。三四までの作業終了。』

「よし。天宮。次、取り掛かるぞ。」

私と天宮はここまで私語は無かった。それほどに集中していた。

「天宮。」

私は手を動かしながら話しかけた。

『なんですか?』

天宮もまた作業をしつつの返答。

「残り十分になって出来なかったら、お前はライカで離脱しろ。」

『沢月さんもですよ。広瀬さんと約束しましたから。』

こうやって宇宙で作業していると、今自分達が高速で地球の周りを飛翔していることを忘れてしまう。周りの景色は変わらず、止まっているものは止まったまま。ふわふわと浮いて、まるでスローモーションの世界にいるような気さえする。

実は、それらはただ止まっているように見えたり、景色が動いていないように見えているだけだと頭で分っていても、私は目に見えるこの現象に騙されてしまう。

地上から見れば、私達は六時間で地球を一周してくる高速物体なのに。



気がつけば、デジタル時計は二桁を切っていた。

「くそっ、まだ月も行ってないってのに…!」

愚痴をこぼしていると、ユキから通信が入った。

『詩織! なにしてるの! 詩織!』

修理だよ。こいつをぶつけちまったら衛星も、ルナフェリーもリテイクが効かなくなるほどばらばらになる。そうなったら、ユキの夢はどうなるんだよ!

「天宮。お前はライカでどっかいってろ。」

『沢月さんこそ、どうなんですか。』

互いの手は止まらない。

「月へ行った、アームストロングもアポロ一三号の乗組員も三八万キロの旅をしてきた奴らはこれ以上の事をこなしてきたんだ。」

これぐらいの事が出来なくて何が月へ行くだ。月は金さえあれば行けるほど、そんな甘いところじゃない。

地球は静かに止まっていた。静止軌道から見る地球は同じ顔しか見せないからだ。だが、地球は止まっていても時間は容赦なく進む。一日二四時間。きっかり日は昇り、沈むなんて大原則、所詮、地球の上での話しだ。ここでは地球は止まり、二四時間、日が照っているところだってある。だが、陸の上と代わらない大原則。それは時間だ。まるで時間が止まったかのように見えるここでも、時間は進む。誰にでも、平等に。

焦るな。まだだ。まだ時間はある。ゼロじゃない。

頭で分っていても、体のほうがいう事を聞かなくなっていた。

くそっ! 今日ほどこの動きにくいパイロットスーツが鬱陶しく思った日は無い。

時間は正確に過ぎ去っていくってのに、人間の行う作業ってのは、どうしてこうも不正確なんだ!





レッドアラーム。一分を切った。

私はこんな事を何度も反芻した。

「出来るのか、本当に…。」

ヘルメットに月と地球の仮想交差ラインが過ぎる。

『詩織!』

ユキの焦燥感に包まれた声が響く。もうすぐ、ルナフェリーと衝突する。

『詩織! そのままそこにいたら詩織達が! いいから逃げて!』

「うるせェ! だったら衛星はどうなる!」

『でも、詩織! ルナフェリーにはバンパーが!』

「このサイズを防ぎきれるわけ無いだろ! 今回ばっかりは逃げも失敗も許されない! 許されないんだ!」

ユキの夢も、私の夢も、こんなところで終わらせるわけにはいかないんだ!

デジタル時計は三〇の文字を刻み終わっていた。

「天宮!」

『いけます!』

大丈夫だ。焦るな。この二年間、何度もやってきた作業じゃないか。もうすぐだ。もうすぐ、こいつの修理が…。

「よし! 出来た!」

『はい! 出来ました!』

「先輩!」

『信号確認。点火作業急いで!』

私はコントロールパネルを手に持ち、手動でエンジンスタートを開始する。

数キロ先に衛星が見えたら、次の一秒後には衛星ごとブレークアップだ。



そう思った瞬間、目の端に光る何かが見えた気がした。





衛星からは音も無く、青白い炎が伸びる。





「…何だよ…出来たじゃないか!」

表示されているデジタル時計はマイナスをゆっくり刻み、データには、交差ポイントを通りすぎたルナフェリーが表示されていた。

私は思わず小さな笑い声を漏らした。遠ざかるフェリーを見送り、笑わずにいられなかった。

「な、ユキ!」

『詩織…。』

ユキの安堵と溜め息交じりの声が私の耳元に届く。

『やった、やりましたね! 沢月さん!』

天宮霞の声も私の耳に届く。

「何言ってんだ! これぐらい、出来て当然だろ!」

後から続いて、先輩から回線が開く。

『詩織ちゃん…。』

「先輩。」

『まったく無茶ばっかり…。』

けど、無理はしてないつもりです。

独りガッツポーズをしている天宮霞に声をかける。

「こいつを軌道修正させて、さっさと地上に戻るぞ。」

『はい!』

コントロールパネルから軌道修正のオート機能を起動させ、作業の全工程を終わらせる。

「陸に降りたら、ユキの栄転祝賀会だ。先輩、参加しますよね?」

『えぇ。お邪魔でなかったら。』

私は自分のライカのほうに体を移動させながら、振り返る。

「参加するだろ? 霞もさ。」

『かすみ…って…はい! もちろんです!』









空港内にアナウンスが流れる。行き交う人々の喧騒。ガラス越しに漏れ聞こえる、滑走路からの騒音。私達は今、その中にいる。

「いつもの職場で最後の別れってのも味気ないな。」

始末書を書き、小さな祝賀会を先輩や霞と開いた数日後。今日はユキが本社へ行く日だ。

「自分の会社が空港にあるから、こういう時はなんだか変な気分。」

ユキはクスクスと笑った。二年前と変わらない笑顔で。

空港内のざわめきが二人を包む。

「でも、上空一〇〇キロから宇宙だもんね。それって、本社は宇宙より遠いところにあるって事になるのかしら。案外宇宙って近いのかも。」

「そうだな。」

ははっと笑うと、ユキが私の名前を呼んだ。

「詩織。」

「?」

改めて名前を呼ばれ、顔を上げると、ユキと視線が重なった。

「詩織、少し変わったね。」

思わず、目を伏せてしまった。

「…変わってないさ。」

ユキ。お前は変わった。二年前と。けど、私は、まだ何も手に入れていない。自分の夢も、やりたい事も、何一つ昔と変わってない…。

「詩織が変わってないと思うのは、光の届かないところに居るから自分が見えてないだけよ。だから、早く光の見える場所まで駆け上がってきて。そうしたら、きっとわかるわ。」

ユキは笑顔だった。

「…わからない。私にそれが出来るか、わからない。」

今の私には自分自身も何もかもわからない。わからないことだらけだよ。

「けど、未来もわからないものだから。」

搭乗アナウンスが流れ出し、ゲートに並んでいた列が動き出した。

あたりの喧騒が私達を包む。

「じゃあな、ユキ。」

ユキは顔を綻ばせ、言った。

「ばいばい。詩織。」











                                                  第三章



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