街の喧騒からすこし離れた場所にある小さな家の戸に手をかけようとしたとき、不意に後ろから声がかかった。 「めずらしいのね。あんたがここにくるなんて」 「外出中だったのね。ノックしても出てこないものだから」 振り向いたジュディスが特にあわてることもなく応えると、リタは「ちょっと買い出しにね」と ジュディスの横を通り抜けて戸を開いた。 遠慮なく中へ進んでいった彼女の後に続いてジュディスも室内へ入り、その家の玄関でもある扉を閉めた。 家に入るなり足元には大量の本の入った木箱が山のように積まれていた。 部屋のなかには古い紙のにおいに混じってかすかに薬品の香りがただよっている。 リタが両手で抱えていた袋はまだ荷物が散乱した机の上にガシャンッと大きな音をたてて置かれた。明らかに金属の音だった。 部屋の様子をじっくり見まわしながらジュディスは口を開いた。 「変わってないのね。まるで前の家そのままよ。少しは年頃の女の子らしいものはないのかしら」 「余計なお世話よ。その辺適当に座ってて」 リタはしばらく机の上のものをあわただしく片付けてから今度は木箱をいくつか開き始めた。 あまりにも時間がかかっているのでジュディスが傍によって覗き込むと、 疲れた顔で「食器どの箱に入れたか忘れた」と素直にもらした。 一応、来客としてもてなしてくれるらしいと気づいたジュディスは少しほほ笑んで、一緒に他の木箱を開き始めた。 ようやく見つけたカップに熱いコーヒーが注がれる頃には少し日が傾き始めていた。 窓からまっすぐ差し込んだ橙色の光が影をくっきり映し出している。 以前目の前の少女が住んでいた街は日の光が届かない洞窟の中にあった。 しかしここ数年に起こったエアルの乱れを含めた様々な騒動の末、彼女の家のあった薄暗い街は今や瓦礫の下である。 ほんのしばらくの間に、世界は目に見えて姿を変えた。 ジュディスは含んだコーヒーの苦みを飲み込むと静かに口を開いた。 「びっくりしたわ。あなたがまさかハルルに住むとはね」 かつて魔導器(ブラスティア)でもあった桜の大樹に抱かれた街は、花の季節になると大勢の人でにぎわう ひとつの観光地でもあった。 つい先ごろには先代皇帝の血をひく姫君が別邸を建てることも決まり、今後は一般人だけでなく 帝都の貴族が避暑地として訪れるようにもなるだろう。 「前から気になってはいたのよ、ここの結界魔導器(シルトブラスティア)。住む場所も無くなっちゃったし、いい機会だと思って」 窓の外からはざわめく木々の姿が見えている。 じっとそちらを見つめながら応えたリタに、ジュディスは笑みを隠し切れずにつぶやいた。 「静かに自分の研究に集中するならもっと他に場所もあったでしょうに」 「・・・あんたはわざわざそんな嫌味を言いにここまで来たわけ?」 味を楽しむ様子もなく一気にカップの中身を飲み干した少女は半分目を伏せてじとんとこちらを見つめた。 それを見たジュディスは意味ありげに口の端をあげるとおそらく机の下に置いていたのだろう、 本一冊が入るぐらいの紙袋を取り出してみせた。 「あなたにお届けもの」 「誰からよ」 「中を見ればわかるわ」 紙袋を受け取ったリタは意外に重く底が広い袋を少し不思議そうに見つめた。 中から取り出した箱には『ワレモノ注意』のシールが目立つよう大きく貼ってあった。 やけに厳重に包装された箱の中のかたまりの紙を剥ぐと、中から出てきたものを見てリタは目を丸くした。 「素敵でしょう」 コーヒーを飲み終わったジュディスは相変わらずのんびりとした様子で、静かにカップを机に置いた。 透明なガラスの表面に刻まれた模様が、窓から射し込む夕日を美しく反射している。 形状は横に広がっていて、取っ手もガラス製でなめらかに湾曲していた。 手の中にある透明なティーカップをしばらく見つめて、リタはすこし困ったように笑った。 「・・・・・せっかく引っ越してきたのに、会えなきゃ意味ないじゃないの」 「今はこれが精一杯なのよ、彼女には」 「あんたは会ったんでしょ?」 どうしても声に羨望をにじませずに入られないのだろう。上目遣いでうらめしそうにリタはたずねた。 その様子を見てくすりと笑いながら、ジュディスはこの家を訪ねた用件を伝えた。 「なんとかここに別荘を建てることは評議会で承認されたけれど、しばらく来るのは無理そうね。残念がってたわ。 引っ越し祝いにって、届けて欲しいってお願いされたのよ」 「もう皇帝候補じゃないのに?」 「確かにそうだけれど、エステルが副帝という地位をヨーデル殿下から約束されたのも事実よ。 皇帝にならないからといって、裏で彼女の権力を利用しようと考える貴族がまったくいなくなったとも限らないでしょう?」 「・・・そう言ったの?あの子が」 少女は苦しそうに顔をゆがめてやりきれない風だった。ジュディスはただ淡々と応える。 「言わないわ。わたしは人を通じて城に呼ばれて、あの子からこれをあなたに渡して欲しいと頼まれただけ」 でもそれだけで十分だった。 彼女が自分の手で、リタに祝いの品を手渡せないということがわかっただけで。 これを託されたときのエステルの相変わらずの笑顔。 でもすこし伏せ目がちのまつげの影に悔しさがにじんでいたのにただ気付かないふりをするしかなかったのを、 ジュディスは思い出していた。 気休めの言葉を彼女は求めないだろうと思った。 だから自分にできるのはしっかりこのカップを受け取ることだけだったのだ。 花の街で新しい生活を始めることになった少女に祝いの気持ちを届けるのが自分に託された仕事だったと、ジュディスは考えた。 夕方の日の光を反射してちらちら舞う花弁の姿が目の端に映った。ジュディスは、そっと窓に目を向ける。 今ハルルの木は満開の時期を迎えている。散っていく花の姿は見るものの心に何を刻んでいくのだろうか。 きっと何事もなければ、この街の花は変わらず咲き続けるのだろう。 それが当たり前のように流れる毎日の営みであり、でも確実に時が移ろうことも意味しているのだった。 「次の花の季節には間に合うように」 「・・え?」 「エステルよ」 しばらくうつむいていたリタは、意味が分からないと顔を上げた。 「みんなでお花見しましょうって」 きっと今年も、彼女は花が散るのも見られないまま季節に季節を通り過ぎていくのだろう。 暗い洞窟の街で独り、岩の天井を見上げていた魔導師の少女が次の季節に花の大樹を見上げるようになったように。 竜に跨り魔導器の破壊にすべてを捧げていたクリティアの女が、 次の花の季節にはギルドの一員として世界中を飛び回るようになったように。 でもそうでなかった可能性があったのと同じように。 城の中しか知らなかった皇族の姫君が外の世界で自分の運命を受け入れられたのなら、 次の花の季節にハルルの樹を見ることができるのかもしれなかった。 「何言ってんの。エステルの都合がどうでも無理やりにでも引っ張ってくるわよ」 強気なのか単なる意地なのか、リタは肩を怒らせて言い募った。 ジュディスはすこし眉をひそめて年長者としてまっとうな意見を述べてみた。 「そんなことしてあの子の立場が悪くなったらどうするの」 「知らないわよ。何にせよ前科があるんだし」 手を拳にして「あいつにできてあたしにできないわけないでしょ」と意気込む姿を見てふいに、 ジュディスはもうひとつ伝えるべき用件があるのを思い出した。 決して忘れていたわけではないが、城でこの仕事を引き受けてからはとても言い出せる空気ではなかったのだ。 「次の季節を待たなくてもいいかしら」 「何か言った?」 「いいえ?」 素知らぬふりでジュディスは返す。 一瞬こちらを不思議そうに見たが、かまわず少女は席を立ち大量の書物と古紙に埋もれた机をがさごそと漁り始めた。 必死にザーフィアス城の間取りを書き出し始めた少女をおかしそうに見つめながらジュディスは、 明日にでも自分の所属する明星の名を持つギルドのメンバーがハルルに大集合することをもうしばらく 黙っていることにした。-となりに-
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